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藤田嗣治~小山内薫 系図 (※転載禁止)




藤田嗣治には、父をはじめ親族に多数の軍医関係者(緑字で表示/他にも多数)がおり、 兄の妻は、陸軍大将児玉源太郎の娘。
そして、従兄には日本史の教科書に必ず登場する新劇界の先駆者・小山内薫
その妹は、女流劇作家のパイオニア岡田八千代、その夫は洋画家岡田三郎助
フジタの甥には著名な音楽・舞踊評論家蘆原英了や建築家芦原義信がいる。


●藤田嗣治・小山内薫家系図
小栗信 江戸旗本、明治以降は陸軍省御用掛/(小栗信、及び小栗家に関しては下記参照)/
藤田嗣章(つぐあきら)
藤田嗣章
陸軍軍医総監(大正元年~/森鴎外の後任)、朝鮮総督府医院長/
父・嗣服(つぐのり)は安房長尾藩本多家(明治元年駿河田中藩より移封)家老/
妻・政(まさ/小栗信の次女)を34歳で亡くし、再婚/
藤田嗣雄
藤田嗣雄
陸軍書記官、法博、憲法・軍制学者、上智大学教授/妻は児玉源太郎三女・モト/
娘・信子の夫は枢密院書記官村上恭一次男・慎二/
藤田嗣雄
欧米の軍制に関する研究
藤田嗣治(つぐはる)
藤田嗣治
洋画家/藤田嗣章と政の末っ子/
5人の女性と結婚を繰り返したが、子どもはなかった。
(鴇田とみ、フェルナンド・バレー、リュシー・バドゥ[愛称ユキ]、マドレーヌ・ルクー、堀内君代)
「ユキの回想 エコル・ド・パリへの招待」ユキ・デスノス・著/

東京美術学校卒。大正2年26歳で渡仏、モディリアニ、ピカソらと交友。
貧しい修行生活を経て、神秘的な「乳白色の肌」の裸婦像が絶賛を浴び、
エコール・ド・パリの寵児となる。昭和8年帰国、翌年二科会会員に推挙された。
12年秋田市で大作「秋田の行事」を製作。のち再びパリへ渡ったが、
15年、大戦下のパリを脱出帰国。
16年二科会会員を辞し、第二次大戦中は軍部の依頼で戦争記録画を描く。
24年、故国日本では正当な評価を得られぬ煩悶と失意から、アメリカを経てパリへ渡り、
30年フランスに帰化し、洗礼を受けてレオナール・フジタと名乗る。
晩年、ランスのノートルダム・ド・ラ・ペ礼拝堂壁画制作に従事。チューリッヒで死去。
おかっぱ頭とロイド眼鏡の独特の風貌、猫と女の絵を得意とし、
東洋画風の線描を用いた細密な描写、白色をきかせた画面は、独自の画境を示した。
藤田嗣治
藤田嗣治「異邦人」の生涯」近藤史人
藤田嗣治 パリからの恋文」湯原かの子
児玉源太郎
児玉源太郎
陸軍大将、陸相・内相・文相、台湾総督、参謀総長、満鉄創立委員長/子爵(没後、伯爵)
児玉源太郎
天辺の椅子―日露戦争と児玉源太郎」古川薫/著
小山内建
(小山内玄洋)
小山内玄洋
陸軍一等軍医正/医者としての号は玄洋、森鴎外の史伝作品「渋江抽斎」に登場/
妻・錞(しゅん)は小栗信の長女/
明治の毒婦といわれ、斬首刑となった高橋お伝の遺体を解剖した。
小山内薫
小山内薫
劇作家、演出家、小説家/日本の新劇界の先駆者/小山内建 次男/
東大在学中から詩・小説・戯曲を書き、劇の翻案や演出をする。
明治42年、二世市川左団次とヨーロッパ近代劇運動の全面的移植を試み、自由劇場を創立。
西洋の近代劇の翻訳物を上演し、坪内逍遥の文芸協会とともに日本新劇界の草創期を形成した。
小説家としては初期の短編を経て大正2年自伝的長編小説「大川端」で才能を示した。
関東大震災後の大正13年、土方与志と築地小劇場を創立して、様々な試み多くの演出を手がけ、
新劇が知識層の間に歓迎されるようになった。
また、松竹キネマに入り松竹キネマ研究所を作るなど映画界にも足跡を残した。
小山内薫
小山内薫と二十世紀演劇曽田秀彦/著
小山内徹 翻訳家(英米文学)/小山内薫長男/
推理小説を専門分野とし、「宝石」誌などで活躍。
創元者などから多数の翻訳ミステリーが出ている。
ドロシー・リー・セイヤーズ「ピーター卿乗り出す」「バターシイ殺人事件」、
クリストファ・ブッシュ「チューダー女王の事件」、アガサ・クリスティ「大空の死」、
エラリー・クイーン「野球場殺人事件」、ニコラス・ブレイク「証拠の問題」等を翻訳。
小山内徹
立松和平
立松和平
作家・小説家/
妻となる美千絵は、有馬頼義の紹介で早稲田文学編集室に勤めていた。
勤める際、出版社勤務の父親に、「くれぐれも文士などと付き合わないように。
それだけは注意しなさい」とクギを刺されていたが、結果的に両親の心配が的中、
駆け出しの貧しい文士だった立松と駆け落ち、結婚した。
立松和平
小山内宏
小山内宏
軍事評論家/小山内薫次男/
戦時中は、軍属(英語通訳)としてフィリピンに渡り、尉官待遇であった。
戦後、「少年ケニア」の山川惣治のアシスタントを経て、漫画家、挿絵画家となり、
講談社などの雑誌、絵本に寄稿。
その縁で、少年マガジンの巻頭グラビア・ページの構成を、
スパイ・軍事・SFものを得意分野として手がけるようになる。
少年マガジン大図解は、大伴昌司の業績として知られるが、
その内のかなりの部分の構成・執筆を担当した。
渡米し、各地の戦略研究所などを歩いて軍事問題を研究。
反戦平和の立場での軍事評論で活動し、
1965年「ヴェトナム戦争―このおそるべき真実」を出版、ベストセラーになった。
他に「軍国アメリカ―このおそるべき全貌」「これが自衛隊だ―戦力・戦略のすべて」、
第三次世界大戦―もうきざしは始まっている」などがある。
小山内宏
拳銃画報
小山内富子 児童文学作家(筆名・小山内繭)、随筆家、日本文藝家協会会員/
実践女子専門学校卒業後、昭和25~63年を東京大学図書館司書官として勤務。
小山内宏と結婚後、薫の妻・登女子と20年間暮らしを共にする。
著書に「混血児ジロー」「薔薇のツェッペリン」、「ちょっとコーヒーのみに行ってます」(随筆集)など。
小山内富子
小山内薫―近代演劇を拓く
市川扇升
(せんしょう)
市川扇升
歌舞伎役者/小山内薫三男・小山内喬/
大正12年6歳で初代中村吉右衛門の門人市川扇升と名乗り初舞台を踏む。
のち前進座に入座し活躍、小山内薫母方小栗籍を継ぐも昭和23年、31歳で病没。
DVD:「河内山宗俊
岡田八千代
岡田八千代
劇作家/
兄・小山内薫の影響を受け戯曲・小説を書き、「明星」に「めぐりあひ」を発表。
三木竹二(森鴎外弟)の「歌舞伎」に劇評を書いた。結婚後も創作活動を続け、「青鞜」にも参加。
大正11年児童劇団「芽生(めばえ)座」を結成、児童劇の脚色・演出に当たった。
12年、長谷川時雨と「女人芸術」を創刊、以後、主として後進の指導に当たり、
戦後昭和23年、日本女流劇作家会を創立、女流文学の振興に尽くした。
戯曲に「黄楊の櫛」、小説集に「門の草」「新緑」、回想録「若き日の小山内薫」などがある。
近代作家研究叢書 (50)
岡田三郎助
岡田三郎助
洋画家、東京美術学校(東京芸大)教授/
曾山幸彦の大幸館画塾に学び、明治美術会に出品。
のち久米桂一郎・黒田清輝と知り合い影響を受けた。明治29年白馬会の創立に参加、
また、東京美術学校助教授となる。翌年渡仏しラファエル・コランに師事。35年帰国し、教授。
大正元年、藤島武二と本郷絵画研究所を設立し後進を育成した。8年、帝国美術院会員。
昭和12年、第1回文化勲章を授章。
外光派風の明るい繊細な画風で、代表作は「某婦人像」「初冬晩輝」「読書」などがある。
蘆原信之
(芦原)
陸軍一等軍医正/退役後、開業医/
小山内薫の最後を看取った主治医でもあった。
蘆原英了
(あしはらえいりょう)
蘆原英了
音楽・舞踊評論家、京都外大仏語学科教授/蘆原信之四男、本名・敏信/
妻・多摩子は男爵・中村謙一(鉄道官僚、貴族院議員/関連系図)二女/
慶大フランス文学科を卒業後、昭和8年パリに留学、帰国後中央公論社に入社したが、
シャンソンを中心に、バレエ、現代舞踊、演劇からサーカス、道化に至るまで、
幅広くヨーロッパ芸術を日本に紹介した。
特にシャンソンについては「巴里のシャンソン」の著書があるほか、
「シャンソン・ド・パリ」のレコードの編集と解説によって1930~40年代に
日本に「シャンソン」という言葉を定着させ、シャルル・トレネら
多くのシャンソン歌手を紹介した功績は大きい。
戦後は「婦人公論」の編集長をつとめ、1950~60年代に世界的なシャンソン・ブームが
起こった時は、評論活動に幅広い教養を遺憾なく発揮、ジュリエット・グレコを最も愛した。
昭和37年にフランス政府から芸術文化勲章を受けたが、
世界的なバレエ・コンクールの審査員でもあった。
49年紫綬褒章。
蘆原英了
僕の二人のおじさん、藤田嗣治と小山内薫
芦原義信
芦原義信
建築家、東大教授、日本建築家協会会長、日本建築学会会長/蘆原信之五男/
日本の都市論に「街並み」の美学という新たな領域を切り拓き、
街並み景観、芸術的環境形成に対し多大の貢献をした。
代表建築に、銀座ソニービル、駒沢公園体育館、国立歴史民俗博物館など多数。
芦原義信
街並みの美学」「続・街並みの美学
中村緑野(りょくや) 陸軍軍医総監(大正14~)/
部下の息子の命名を頼まれ、つけた名前が中原中也。
田原鎮雄 陸軍軍医中佐/
渡辺泰造 陸軍軍医監/
島村信司 陸軍二等軍医正/
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])



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小栗信、及び小栗家に関して


東善寺(小栗上野介の寺) 村上泰賢さまより、情報をいただきました。


当初、小山内富子/著「小山内薫―近代演劇を拓く」を参考本として、

「十代・小栗忠清には嫡男がなかったので、旗本中川飛騨守忠英の四男・忠高を長女・くに子の婿として養子に迎えた。
そして、その間に生まれたのが、小栗上野介忠順(ただまさ)。
しかし、その後、十代・忠清病没直後に嫡男が生まれた。それが、小栗信。
十一代目として忠高が迎えられたあと、十代目の実子・嫡男として生まれた信は、十一代・忠高の弟として届けられた。」

との記述そのままに、小栗家の系図を描いておりましたが、以下の通り、間違いをご指摘いただきました。


くに子の弟はではなく庄次郎といい、忠高を婿養子に迎えたのち、生まれたため、旗本・日下家に養子に出され、幕末期には日下数馬と名乗っていた。
小栗上野介忠順は、子どもがいなかった(のちに会津で、国子が誕生)ので、その、日下数馬の娘・鉞子(よきこ)を養女として迎えた。」

「では、小栗信とはどのような人物か。
江戸初期の小栗家の分家が六家あるが、そのひとつに繋がる小栗信友の系統が、麹町の福寿院を菩提寺としており、この系統の人物と推測できる。
しかし、現在はまだ確定できていない。」


との事です。
貴重な情報ありがとうございました。



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内容は基本的に書籍、新聞・雑誌等の文献、ネット上の新聞社・出版社、人物に関する公式サイト等、TV番組なども、参考に描いております。また、家系図に登場される方からの情報の場合もあります。


人物解説リンクは正式・正統な人物事典であるコトバンクにリンクを貼っています。



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●参考文献
小山内薫―近代演劇を拓く」小山内富子
「私の半自叙伝」蘆原英了
藤田嗣治「異邦人」の生涯」近藤史人
藤田嗣治 パリからの恋文」湯原かの子
欧米の軍制に関する研究」藤田嗣雄
腕(ブラ)一本・巴里の横顔―藤田嗣治エッセイ選」藤田嗣治
「評伝 藤田嗣治」田中穣
「小山内薫」堀川寛一
「小山内薫」水品春樹
立松和平伝説」黒古一夫


●情報提供
東善寺(小栗上野介の寺) 村上泰賢さま

Sanaiさまより、小山内徹・小山内宏に関して情報をいただきました。