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吉田松陰 系図 (※転載禁止)


[系図1]


[系図2]

そらのる 1210追加

●吉田松陰家系図 人物解説
杉七兵衛 長州藩士/杉家4代。妻は岸田氏/吉田松陰祖父/
杉家は長州藩毛利家に仕える武家であり、家格は「無給通(むきゅうどおり)」/
杉家初代は文左衛門政常、2代は七郎兵衛政之(吉田家より)、3代は文左衛門徳卿(のりあき)、4代が七兵衛常徳(つねのり)/
長男・百合之助(松陰の父)、二男・吉田大助、三男玉木文之進。
杉百合之助
杉常道
長州藩士・中間(ちゅうげん)頭兼盗賊改方/
杉七兵衛長男。杉百合之助常道/吉田松陰実父/
三男四女をもうける。長男・梅太郎、二男・松陰、長女・千代、二女・寿(ひさ)、三女・艶(夭折)、四女・文、三男・敏三郎(生まれながらの聾唖者であった。明治9年病没。32歳)/
家禄26石の赤貧の中で、梅太郎、松陰の教育に力を注ぎ、熱心な勤王家で、その大義を教えた。
杉滝(滝子)
杉滝
杉百合之助の妻。名はのち滝子/吉田松陰実母/
藩主一門毛利志摩の家臣・村田右中の三女。
文政9年(1826)、19歳の時、22歳の杉百合之助と結婚。
ただ、滝の実家と直臣の杉家とは釣り合わず、長州藩士・児玉家の養女として婚姻した。
竹院(ちくいん)
竹院
僧(臨済宗)、南禅寺・円覚寺・瑞泉寺住職/
村田右中の息子で松陰の母・滝の兄。松陰伯父/
『幼くして僧となり、萩の徳隣寺(とくりんじ)で修行した後、諸国を行脚して鎌倉円覚寺の清蔭和尚に師事。
ついで淡海和尚に印記を受け、天保14年(1843)に瑞泉寺二十五世の住職となった。
安政2年(1855)12月、円覚寺に栄転して第百九十七世の住職となった。このとき、松陰は萩の野山獄に投ぜられていたが、漢詩二篇を贈り、喜んでいる。
のち同寺内の正続院に住んで、多数の雲水を教導した。
さらに文久3年(1863)8月に京都南禅寺の住職に栄転。
慶応3年(1867)3月1日、熱海温泉で病気療養中に72歳で他界している。
(「吉田松陰とその家族-兄を信じた妹たち」より抜粋)』
吉田大助 杉七兵衛二男/吉田家に養子入り/吉田松陰の叔父で養父/
吉田家は代々、長州藩の兵学師範(山鹿流兵学)を務めた家。
玉木文之進(ぶんのしん)
玉木文之進
松下村塾創始者、長州藩奥番頭、代官、明倫館都講/
杉七兵衛三男/吉田松陰の叔父/
11歳の時、玉木十右衛門(正路)の養嗣子として跡を継いだ。/
明治9年、萩の乱に養嗣子・玉木正誼や吉田小太郎、門弟らが加わった事を自責し、祖先の墓前で自刃した。67歳。
玉木彦介(彦助)
玉木彦助
玉木文之進の長男。松陰のいとこ/
慶応元年(1865)、藩政府俗論党との内戦で、負傷し死亡。
玉木正誼(まさよし)
玉木正誼
長府藩(長州藩支藩)藩士で親戚の乃木家より、玉木家に養子入り。
乃木希典の弟・真人(まこと)。正誼と改名/
明治9年、萩の乱に加わり、政府の鎮圧軍相手に戦い、24歳で戦死。
正誼の妻は杉民治長女・豊子。この時、一子・玉木正之を身ごもっていた。
杉民治(みんじ)
杉民治
修善女学校校長、山口県権典事、第三大区長、当島宰判県令/
通称・梅太郎、のち民治。杉百合之助長男/松陰の兄/
先妻・亀、後妻・幸(亀の妹)。
子は、豊子、小太郎、滝子、道子、小三郎、清四郎、梅子、静子。
長男・小太郎は吉田家に養子入りするも明治9年、萩の乱で戦死。
その跡を三女・道が継ぐも、明治10年早世。
吉田小太郎 杉民治長男。松陰処刑後、しばらく断絶していた吉田家を継ぎ再興。
明治9年、萩の乱で戦死。享年19.
吉田松陰
吉田松陰
1830~1859/教育者・松下村塾3代塾主、兵学者・山鹿流兵学師範/
杉百合之助二男/
1834年、叔父・吉田大助の仮養子となり、翌年、養父・大助が病死したことから、わずか6歳で吉田家の家督を相続/
名は矩方(のりかた)、通称は虎之助、大次郎、松次郎、のち寅次郎、松陰、二十一回猛士と号した。/
松下村塾を主宰、幕末・明治期に活躍する人材を教育、多数輩出した。
児玉芳子
(杉千代)
杉百合之助長女。松陰2歳下の妹/
夫は同じ松本村の長州藩士・児玉祐之(すけゆき/初之進)。
二男三女をもうける。のち二男・庫三が吉田家を継ぐ/
妹たちに兄・松陰の教えを伝え、後年、「婦人の友」や
「日本及日本人」に松陰の思い出を語り残した。
大正13年(1924)、93歳で死去。
吉田庫三(くらぞう) 横須賀中学校長/児玉祐之・千代の二男。吉田家の家督を相続/
妻・茂子は杉山俊亮(昭和飛行機社長、海軍中将)の姉。
杉山俊亮の妻・貞子は杉道助の妹。
楫取希子(ひさこ)
(杉 寿)
杉百合之助二女。松陰二番目の妹/楫取素彦先妻/
嘉永6年(1853)、長州藩士・小田村伊之助(のち楫取素彦)と結婚。/
維新後は群馬県令となった夫を支え、また、浄土真宗の熱心な信者で、布教活動に努めた。明治14年(1881)、43歳で死去。
楫取素彦
(かとり もとひこ)
楫取素彦
1829~1912/宮中顧問官、貴族院議員、群馬県令/男爵/
長州藩医・松島瑞蟠二男。初名は粂次郎/
天保11年(1840)、12歳の時、藩校・明倫館の儒官を務める小田村吉平の養子となり小田村伊之助と改名。のち慶応3年(1867)、楫取素彦となる。/
先妻・寿(希子)は杉百合之助二女。
後妻・文(美和子)は杉百合之助四女/
明治20年(1887)、男爵を授けられる。
楫取美和子
(杉 文)
杉百合之助四女。松陰末妹/楫取素彦後妻/
安政4年(1857)、15歳で、久坂玄瑞(18歳)と結婚。
元治元年(1864)、禁門の変により、夫・久坂玄瑞死去。
夫の死後、長州藩主・毛利家に仕える。
明治16年(1883)、41歳の時、楫取素彦(55歳)と再婚。
男爵夫人として夫を支え、晩年を過ごす。
夫の死から約10年後の大正10年(1921)死去。
久坂玄瑞(げんずい)
久坂玄瑞
1840~1864/長州藩士、尊攘志士/
長州藩医・久坂良迪(りょうてき)三男/
吉田松陰に学び、高杉晋作とともに松陰門下の「双璧」といわれ、入江九一、吉田稔麿を加えた4人は「松門の四天王」と称された。
禁門の変で、銃弾を受け重傷を負い、寺島忠三郎と刺し違え自刃。
久坂玄瑞関連系図
乃木希典(まれすけ)
乃木希典
学習院院長、陸軍大将、台湾総督/伯爵/
弟・真人(玉木正誼)の養子縁組以前から、玉木家に寄宿して、学問を学ぶ。松陰に憧れるあまり、
家出同然で玉木文之進の元に押しかけたという。
乃木希次 長府藩士/乃木希典・玉木正誼兄弟の父
杉相次郎 毛利家家扶、山口県庁職員(知事官房長兼秘書役)/
萩の儒家・中村浩堂(百合蔵)の二男。
妻・滝子は杉民治二女。杉家に婿養子入り/
父・中村浩堂は嘉永4年(1851)、藩主参勤交代時、江戸遊学生に、吉田松陰、小田村伊之助、中谷正亮らと共に選ばれ、松陰とは友人のつきあいを続けた。また、藩校・明倫館で腕をふるった。
杉道助
杉道助
1884~1964/八木商店社長、大阪商工会議所会頭、ジェトロ初代理事長/
杉相次郎長男/吉田松陰は大叔父(祖父・杉民治の弟)/
慶大理財科卒/
戦後、昭和21年から5期14年間、大阪商工会議所会頭を務めた関西財界のリーダー。
日本商工会議所副会頭、経団連副会長や、日韓会談首席全権も務めた。
井上靖の小説「あした来る人」のモデル。
吉田彦熊 杉相次郎四男。吉田家を継ぐ/
慶応義塾を卒業、鐘紡の南米進出にさきがけ、現地調査のため、鐘紡の留学生としてブラジルに渡るも、大正15年、伝染病のため25歳で早世。
杉丙三 クリーン工業社長、大阪電通印刷社長、大阪電通総務局長/
杉相次郎五男/東大卒/
杉治彦 杉家10代目当主/杉丙三長男/
東京商船大卒。日本郵船、三菱石油に勤務した。/
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンクコトバンク/amazon[名前で検索])





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