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「暮しの手帖」大橋鎭子 系図 (※転載禁止)



暮しの手帖社創業者・大橋鎭子と花森安治

2016年4~9月期、朝のNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」ヒロインのモデルは、大橋鎭子(しずこ)。

戦後1946(昭和21)年、女性に役立ち、暮しが楽しく豊かな気分になれる雑誌を創ろうと、出版社『衣裳研究所』を設立した。

創業メンバーは、大橋鎭子・晴子・芳子の三姉妹と、花森安治横山啓一(のち晴子と結婚)の5人。そして、デザイン集「スタイルブック」を刊行した。

社長は大橋鎭子(26歳)、編集長は花森安治(35歳)。社内では、ずっと「しずこさん」「花森さん」で通った。

元々、大橋一家の家族出版社に、花森安治が強力な助っ人として加わるというかたちで発足した会社であった。

三姉妹は、鎭子が亡くなるまで80年以上、生活を共にした。二女・晴子のみ家庭を築き、母・久子と共に、大家族の暮しを切り回し、陰ながら会社の発展を支えた。

中野家子、清水洋子の二人を加え、1948(昭和23)年「美しい暮しの手帖」を創刊、社名を『暮しの手帖社』に変更。
1953(昭和28)年、雑誌名を22号から「暮しの手帖」と改題し、現在に至る。

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自社広告以外の広告を一切拒否したユニークな雑誌づくりで通し、「衣食住」をテーマに、さまざまな商品を実地で試し実験する「商品テスト」を柱に、中立の立場から商品評価や生活提案などを行い、消費者サイドに立つ情報を発信、日本の消費者運動の先駆けとなった。

『暮しの手帖社』歴代社長は、
大橋鎭子
横山泰子(2004年就任)
阪東宗文(2010年就任)

横山泰子前社長は大橋鎭子の長妹・横山晴子の息子・横山隆の妻。
同じく、晴子の娘には「横山紅美子」がいるが、阪東紅美子現取締役。(参考:「「暮しの手帖」とわたし 」「しずこさん「暮しの手帖」を創った大橋鎭子 」)。そして、阪東宗文現社長は、その夫である。

なお、2015年8月に就任した澤田康彦編集長は、マガジンハウス(旧・平凡出版)の出身であるが、その妻は女優・エッセイストの本上まなみである。

大橋鎭子と花森安治 戦後日本の「くらし」を創ったふたり (中経の文庫)

大橋鎭子、父のいとこ・黒田正夫

鎭子が小学校低学年の時、父のいとこ・黒田正夫夫妻の勧めもあり、父が結核で入院していた鎌倉から、大橋一家は東京に戻った。また、鎮子が高等女学校卒業後、就職先を母が黒田正夫に相談し、日本興業銀行を紹介してもらい面接を受けた。調査課勤務となった鎭子が、調査月報の編集を手伝った事が、のち「暮しの手帖」創刊にも繋がった。

大橋鎭子の父や黒田家は、共に岐阜県の出であり、黒田正夫は理化学研究所研究員、また登山家としても有名な人物であった。

実は、黒田正夫の周辺には、朝ドラのヒロインとまでは行かない?までも、(女性)人名事典にも登場する3人の女性がいる。

母・黒田琴子(青木琴)は、明治前期渡米し、米国人ジャーナリスト、エドワード・ハウスが発表した「A Child of Japan on the Story of YoneSanto」のヨネ山東のモデルになった女性。

また、妻であり従兄妹でもある黒田初子は女性登山家として名を馳せ、料理研究家としても著名であった。

そして正夫の弟・黒田鎭夫の妻(のち離婚)・村井米子(よねこ)も、女性登山家の草分けであった。
なお余談であるが、村井米子の父は、明治の大ベストセラー「食道楽」を著した村井弦斎であり、米子は、母・村井多嘉子の両親を通じて、大隈重信や後藤象二郎にも繋がる家系であった。
(参照:「系図でみる近現代 第52回」)

[系図 大橋鎭子 (※転載禁止)]

そらのる 1210追加

●大橋鎮子家系図
大橋武雄 日本製麻工場長(北海道)/北海道帝国大学卒/大橋三姉妹の父/
岐阜県養老郡時村(現・大垣市)生れ。名字帯刀を許された大きな家で、三人兄弟の真ん中で父が早く結核で亡くなり、母と伯父たちに育てられたという。
10歳の時に、東京深川の材木商・大橋谷吉・きん夫妻の養子になる(大橋鎭子祖父の従兄弟の家)。 父の家は鉄道の枕木を主に扱っていた。
肺結核を患い、1930年大橋鎭子が小学5年・10歳の時、亡くなり(享年38)、鎭子が葬儀の喪主を務めた。
大橋久子 大橋三姉妹の母/旧姓・宮原。父・宮原満吉/
夫の死後、自分の着物や帯や指輪を売ったり、父(大橋鎭子母方祖父)が北海道の家や土地を売ったりして、三姉妹を育てた。
1982年死去(享年82)。
宮原満吉(まんきち) 小樽の実業家/妻は常子/大橋鎭子母方祖父/
『「私の生まれたのは、明治維新になる前の年、九州小倉藩の小倉城の中だった。砲撃を受けていたときだった」
後に京都に出て徳富蘇峰・徳富蘆花らと知り合い、「いっしょに勉学に励んだ」
京都の名所になっている、琵琶湖疏水のインクラインを作る際、祖父・宮原満吉たちが働きかけたり、また、新聞広告の取り次ぎ、今でいう広告代理店をおこしたという。
その後、新潟で油田を掘り当て、その財産を持って北海道に渡り、小樽に居を構えた。小樽新聞に関係したり、鉱山の仕事をしたり、農場をやったりしていたという。(参照:「「暮しの手帖」とわたし 」)』
大橋鎭子(しずこ)
コトバンク
1920(大正9)~2013(平成25)/暮しの手帖社社主・社長、編集長/大橋三姉妹長女/
東京生まれ。府立第六高女卒。日本興業銀行調査部、日本読書新聞を経て、1946年、大橋三姉妹、花森安治、横山啓一の総勢5人で、衣裳研究所を設立し「スタイルブック」創刊。
女学校時代からの親友だった中野家子、日本出版文化協会時代の同僚の娘・清水洋子も加わり総勢7名で、1948年、隔月刊誌「美しい暮らしの手帖」(53年「暮しの手帖」と改題)を創刊。暮しの手帖社に社名を変更。
商品テストを柱に、消費者サイドに立つ情報を提供、広告を一切取らない雑誌としても特徴を持つ。
78年花森亡き後、編集責任者となる。創刊以来の編集方針・路線を貫く。
2004年、長妹・晴子の息子の妻・横山泰子に社長職を譲り、社主に就任した。
生涯独身の編集者人生を貫き、2013年93歳で死去。
amazon大橋鎭子
「暮しの手帖」とわたし 」大橋鎭子
しずこさん 「暮しの手帖」を創った大橋鎭子 (暮しの手帖 別冊)
横山晴子 暮しの手帖社創業メンバー/大橋三姉妹二女/1922(大正11)年生れ。鎭子の2歳年下/
1948年、26歳で横山啓一と結婚。一男(隆)一女(紅美子)をもうける。息子の嫁が横山泰子。
三姉妹の中で唯一家庭を築き、母・久子と共に、大家族の家庭を切り盛りし、会社の発展を陰で支えた。
大橋芳子 暮しの手帖社創業メンバー、編集者(デスク)/大橋三姉妹三女/1925(大正14)年生れ。鎭子の5歳年下/
生涯独身の編集者人生を貫き、2014年死去(享年89)。
amazonエプロンメモ 」、「エプロンメモ〈2〉 」大橋芳子
横山啓一 暮しの手帖社創業メンバー/妻・晴子は大橋鎭子長妹/
日本宣伝技術家協会を経て、暮しの手帖社。花森安治の大政翼賛会時代以来の仕事仲間。大橋鎭子と花森の共通の知人だった。
「衣裳研究所」創業メンバー(花森安治、大橋鎭子・晴子・芳子三姉妹、少し遅れて経理担当として参加)。のち大橋晴子と結婚。
横山泰子 暮しの手帖社非常勤取締役・社長/夫は横山晴子の息子・横山隆(現取締役?)。大橋鎭子は姑の姉
阪東紅美子(ばんどう くみこ) 暮しの手帖社取締役/母は横山晴子、大橋鎭子とは伯母・姪の関係
黒田正夫
黒田正夫
1897~1981/工学博士、理化学研究所名誉研究員、雪氷研究家、登山家/父・黒田太久馬、母・琴子の長男/
一高を経て、東京帝大工学部冶金学科卒。理研真島正市研究室助手、黒田研究室主任研究員を経て昭和31年名誉研究員となる。
電磁海流計を完成した。
小学校の時、父に連れられ妙義山に登ったのをきっかけに、登山を愛好、のち、結婚後は夫婦で共に日本アルプスを踏破、いくつかの初登頂記録をつくった。
東海大学教授、大同工業大学名誉教授、日本金属学会名誉会員、日本雪氷学会名誉会員、古事記学会会員を務めた。
amazon金属顕微鏡―取扱いと写真の撮り方 (1959年)
日本古代の発見―古事記を裸にする (1972年)
黒田初子
コトバンク
1903~2002/料理研究家、登山家、随筆家、スキー指導員/
東京・牛込生まれ。心理学者の父・松本孝次郎、母・繁子の長女/母は夫・黒田正夫の父の妹/
雙葉高女を経て、大正12年東京女子高等師範(現・お茶の水女子大学)家事科卒。
同年4月、従兄の金属材料学研究者の黒田正夫と結婚。夫の影響で登山とスキーに開眼し、夫婦で登山を始め、1933年には朝鮮の白頭山に登り、女性登山家として名を馳せた。
文華高等女学校、名古屋の金城女学校に勤務し教職の義務年限を終えたのちは、東京に戻り自宅で料理教室を開き、90歳を過ぎても現役の料理研究家として活躍した。また、文化女学院教授も務めた。料理や山の著述が多数ある。(参考:「近現代日本女性人名事典」ほか)
amazon黒田初子
お料理のレッスン七十年―私の好きなレシピ選集
いきいき九十歳の生活術
黒田正孝 日本軽金属副社長、アルミニウム線材社長/
東大経済学部経済学科卒/
松本孝次郎の五男に生れ、姉初子・黒田正夫の養子となる。
黒田鎭夫 黒田太久馬二男。正夫の弟
村井米子(よねこ)
(黒田)
コトバンク
1901~1986/女性登山家第1号、エッセイスト/著述家・村井弦斎長女/
『神奈川生まれ。1923年東京女子大学国文科卒。
結婚して一時黒田を名のる。
明治の文人で食養研究家の村井弦斎の長女。父の著「食道楽」は明治中期大ベストセラーとなり、米子3歳の04年平塚海岸に1万6000坪を購入、「対岳楼」を建設、果樹園、苺畑、西洋野菜畑、山羊舎などを設けた。食卓は限りなくぜいたくなものだった。
米子は少女期から山を愛し、17年富士山、18年木曽御嶽に登山、19年には女人禁制の立山に登り、登山とスキーのとりこになった。23年8月にはついに穂高槍縦走を成し遂げ、女流登山家1号の名を得た。以後半世紀にわたり穂高の四季に親しんだ。
食生活から世界史を見るという父の遺志を継ぎ、山々を歩いて食用野草の研究を重ね、女性登山家の草分けとして知られる。国内はもとよりヨーロッパ、中国の山岳にも足跡を残す。
東京女子大卒業後はNHKに入り、婦人家庭番組の企画を担当、かたわら随筆、紀行文、評論を手がけ、エッセイストとしても一家をなした。
51年自然保護協会の設立に参加して役員となり、文部省登山研修所運営委員、国立公園協会評議員、緑の地球防衛基金役員などを歴任した。
(参考:「近現代日本女性人名事典 」、「日本女性人名辞典 」)』
amazon台所に役立つ山菜100種 (1979年)
山愛の記 (1976年)
村井弦斎 参照:「系図でみる近現代 第52回
黒田太久馬 美術品鑑定家、古物評定所主幹、陸軍大学教授、言語学研究者/岐阜県士族黒田熊太(久馬太)・わさ長男/
慶応3年12月生まれ、東京外語卒。フランス人法律学者・ボアソナードに師事し、明治24年フランスに留学。
日露開戦に当たり、37年朝鮮軍司令部及び統監府勤務。42年これを退き、大正4年米国に巡遊。
青木琴(こと)
(黒田)
青木琴
黒田正夫の母。青木信虎三女/竹橋女学卒/1858年生/
『明治初年に来日した米国人記者エドワード・ハウスの養女/
尾張国に生れる。父信虎は司法畑を歩む。
上京後の明治7年(1874)マーガレット・グリフィスについて学ぶ。のち結婚がうまくいかず自殺未遂。
ハウスに助けられ養女となる。ハウスが1888年ボストンで発表した「A Child of Japan on the Story of YoneSanto」のヨネ山東は琴がモデル。
琴はその後26年にハウスとともに来日、黒田太久馬(陸軍大学フランス語教授)と結婚する。東京四谷に住み、晩年のハウスを引取ってみとった。
(「日本女性人名辞典 」より)』
青木信虎 函館控訴院長/黒田琴の父
●関連人物
花森安治(やすじ)
花森安治
1911~1978/「暮しの手帖」編集長、編集者、装幀家/
東京帝大文学部美学科卒/
神戸生まれ。父・恒三郎、母・よしの。6人きょうだいの長男。父は祖父の代からの貿易商であったが、花森が小学校低学年の頃に家は没落。19歳の時、母は心臓を患い38歳で病死。弟妹は親戚や他人にバラバラに引き取られた。/
妻・ももよは2歳下の大正2年生まれ。一人娘・土井藍生。
帝大在学中に結婚。妻の実家・山内(やまのうち)呉服店は江戸期から続く島根県松江きっての大店。一男四女の末娘。長兄に1985年、公式記録員として野球殿堂入りを果たした山内以九士がいる。長姉のとみえは一畑電鉄の経営者と結婚。二番目、三番目の姉も大きな接骨院の息子や大企業のビジネスマンと結婚した。/
大学在学中は「帝大新聞」に籍を置きカットを担当。
卒業後、伊東胡蝶園(現・パピリオ)宣伝部に入社、画家・佐野繁次郎に師事した後、入隊して渡満、大政翼賛会宣伝部に移る。
戦後、東京・銀座に衣裳研究所を創設、暮しの手帖社を創業。昭和23年「暮しの手帖」を大橋鎭子と創刊。
終身編集長として、広告を一切拒否したユニークな雑誌づくりで通し、また商品テストの客観性を維持した編集方針は、日本の消費者運動の先駆となった。
著書に「暮らしの眼鏡」「風俗時評」「戦争中の暮しの記録」「一銭五厘の旗」など。
amazon花森安治
花森安治伝: 日本の暮しをかえた男 」津野海太郎
花森安治のデザイン
風俗時評 (中公文庫)
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンクコトバンク/amazon[名前で検索])





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●参考文献
【ポケット版】「暮しの手帖」とわたし (NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』モチーフ 大橋鎭子の本) 」大橋鎭子
「暮しの手帖」とわたし 」大橋鎭子
しずこさん 「暮しの手帖」を創った大橋鎭子 (暮しの手帖 別冊)
花森安治伝: 日本の暮しをかえた男 」津野海太郎
昭和の名編集長物語―戦後出版史を彩った人たち 」塩澤実信
大橋鎭子と花森安治 戦後日本の「くらし」を創ったふたり (中経の文庫) 」歴史読本編集部/編
近現代日本女性人名事典
日本女性人名辞典
20世紀日本人名事典 」日外アソシエーツ
大正人名辞典 下巻
母たちの世代 (1981年) 」原ひろ子
お料理のレッスン七十年―私の好きなレシピ選集 」黒田初子
いきいき九十歳の生活術 」黒田初子
日本古代の発見―古事記を裸にする (1972年) 」黒田正夫
日本山岳名著全集〈第10〉泉を聴く・赤石渓谷・山の素描
「改定 雪の科学」黒田正夫
輝く明治の女たち―“いま”に生きる45人の肖像 」笹本恒子
「人事興信録」
「大衆人事録」
「週刊文春」

●参考サイト
徳富蘇峰記念館
文化通信

●参考TV
「ぴったんこカン★カン|朝ドラ・とと姉ちゃん 高畑充希3姉妹が集結 あの暮しの手帖社訪問 ほか」TBS 2016.9.30

●2016年3月20日 記、10月1日 更新