
| ■朝日新聞社 主要株主(2008年6月6日現在/異動後) |
| 株主名 |
持株数 |
発行済株式総数に対する割合 |
| 村山 美知子 |
467,641株 |
14.61% |
| 上野 尚一 |
410,255 |
12.82 |
| 朝日新聞社従業員持株会 |
408,424 |
12.76 |
| 株式会社テレビ朝日 |
380,000 |
11.88 |
| 財団法人香雪美術館 |
319,000 |
9.97 |
| 村山 恭平 |
159,990 |
5.00 |
| 村山 富美子 |
114,295 |
3.57 |
| 上野 克二 |
107,000 |
3.34 |
| 上野 信三 |
107,000 |
3.34 |
| 朝日新聞社役員持株会 |
47,202 |
1.48 |
(参照:「2008年6月6日 朝日新聞社、テレビ朝日による新しい提携の枠組み合意について」)
朝日新聞社創業家・社主家である 村山家・上野家は、
ともに、華族と繋がりを持つ。
村山家は、旧和泉岸和田藩主である岡部子爵家から、
創業者・村山龍平の娘・藤子に、三男・村山長挙を婿養子に迎えた。
なお、香雪美術館は、広大な村山邸の敷地内にある。 |
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| 村山邸 |
| ●朝日新聞社社主・村山家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア) |
村山龍平
(りょうへい) |
1850〜1933/朝日新聞社創業者、社主・社長、衆議院議員、貴族院議員/
号・香雪(こうせつ)/
国学者の子に生まれ、大阪で西洋雑貨店を経営していたが、明治12年に大阪朝日新聞の創業に際して社主となり、14年からは上野理一との共同経営で社長となる。
21年には、星亨の「めざまし新聞」を買収して「東京朝日新聞」を創刊、長谷川如是閑らを招いて、その個性を発揮させ、政論紙からニュース本位の新聞に脱皮させた。
また、販売網の整備に努めた。
31年、東西朝日を経営上合併してから、上野理一と交代で朝日新聞社長に就任。
大正7年の米騒動関係の白虹筆禍事件で社長を一時退任したが、翌8年、株式会社に改組、以後没年まで社長を務めた。
同紙の経営基盤を安定させるとともに、村山・上野両家の共同所有を強固なものにした。
明治24年から衆議院議員に当選3回、昭和5年には貴族院議員に勅選された。
■「朝日新聞社の歩み」 (朝日新聞社)
◆「村山竜平伝」朝日新聞社大阪本社社史編集室 |
村山長挙
(ながたか) |
1894〜1977/朝日新聞社社主・社長、香雪美術館初代理事長/岡部子爵家・三男/
妻・藤子は村山龍平の娘/号・玉泉(ぎょくせん)/京都帝大法学部政治学科卒/
大正8年、村山龍平の養子となり、その長女・於藤(おふじ)と結婚。
9年朝日新聞社に入社、取締役。
航空部長兼大阪朝日印刷局長、昭和8年会長、15年社長となり、大阪・東京・名古屋・小倉の4社の称号を朝日新聞に統一、編集総務を設けた。
航空部長時代には、草創期の民間航空の発展に尽力、朝日新聞社機による東京・大阪間定期航空の開拓、相次ぐ訪欧飛行などを成功させた。
20年11月戦争責任を取って、全役員とともに辞任。
公職追放解除後の26年、社主に復帰。35年社長。
この間、日本新聞協会長2期、朝日イブニングニュース会長、全日空取締役などを歴任。
38年、役員改選などをめぐって、他の重役陣と対立、39年に社長を、40年取締役を退き、上野淳一とともに社主となった。
◆「占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎」今西光男
「朝日新聞外史―騒動の内幕」細川隆元
「朝日と読売の火ダルマ時代 改訂版 」藤原肇 |
村山藤子
(於藤) |
1897〜1989/香雪美術館2代理事長、朝日ビルディング社長、京葉土地開発取締役、パリ日本舘社長、新大阪ホテル相談役/村山龍平の一人娘/
学校に通わず、自宅で京大教授らから教育を受けて成長。
子爵家の岡部長挙を婿養子に迎えた。
父の死後は、朝日新聞の社主家として、大きな発言力を持ち、昭和38年の俗にいう「朝日紛争」をはじめ、朝日新聞社の経営陣と確執を繰り返した。
◆「朝日新聞の紛争と村山於藤」新延修三 |
| 村山美知子 |
長挙長女/朝日新聞社社主、香雪美術館理事長、朝日放送取締役/本名・美知/ |
| 村山富美子 |
長挙次女/朝日新聞社国際本部副部長 |
| 村山良介 |
東邦大医学部教授、麻酔医、美容医学研究所所長、慢性疼痛学会名誉会長/
福井又助二男、村山家に養子入り/
昭和元年生まれ、信州大学松本医科大学(旧制)卒。
文部省在外研究員として2年間、ボストン市立病院麻酔科に留学。
京大医学部助教授、高知女子大学教授をへて東邦大学医学部(麻酔科)教授。
東洋医学の指導医として、ホメオスタシスの応用に関する研究では日本の第一人者。
◆村山良介
「ガンとともに生きる―医師として患者として23年 」 |
| 村山恭平 |
尚美学園大准教授 |
岡部長職
(ながもと) |
司法相/子爵(和泉岸和田藩主家)/
◆「評伝 岡部長職―明治を生きた最後の藩主 」小川原正道 |
岡部長景
(ながかげ) |
文相/岡部長職の長男、村山長挙の兄/子爵/
妻は加藤高明の娘
◆「岡部長景日記―昭和初期華族官僚の記録 」 |
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