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瀬島龍三 系図 (※転載禁止)




岡田・迫水・松尾・瀬島家

瀬島龍三の岳父は、昭和11年、2・26事件時、官邸に押し入った部隊に、 岡田啓介首相に間違われて、身代わりとなり射殺された松尾傳蔵(岡田啓介義弟)。

瀬島龍三がシベリア抑留中であった、戦後・昭和24年、 上記姻戚関係にある、松尾新一が社長、瀬島龍三の弟・瀬島利四夫が工場長、 そして、迫水久常が会長となり、ピアノメーカーを創業した。
ブランド名は、イースタイン。すべて手作りのメーカーであった。

松尾は、文化・平和産業に携わる形で、陸軍に所属した自らの戦争責任に、 けじめをつけたいと願う気持ちから、「文化を創りたい」と、起業を実現した。

(参照:「響愁のピアノ イースタインに魅せられて」早川茂樹/著)

そらのる 1210追加

●瀬島龍三家系図
瀬島龍太郎 松沢村(富山県西砺波郡)村長、陸軍少尉/
日清・日露戦争に従軍。日露戦争時、乃木大将の第三軍兵站監部副官を務めた。
日露戦争後、家に戻ってからは、助役・村長等、社会的な公職を務めた。
瀬島龍三
瀬島龍三
1911~2007/伊藤忠商事会長、大本営参謀・関東軍参謀/中曽根首相ブレーン/
五男三女の三男、二女の父/
陸軍士官学校を経て、陸軍大学を首席で卒業、昭和14年大本営参謀部員となり、終戦直前まで日本軍中枢で作戦計画策定などにあたった。
20年関東軍参謀に転じ、敗戦後、満州でソ連軍の捕虜となり、シベリアに11年間抑留される。
その間、極東国際軍事裁判(東京裁判)でソ連側の証人として法廷に立った。
31年帰国し、33年伊藤忠商事に入社。航空機部次長、同部長、機械第3部長を経て、36年経営戦略本部ともいうべき業務本部長に起用され、総合商社への脱皮を図る伊藤忠の近代化に手腕を発揮した。
37年取締役、38年常務、43年専務、47年副社長、52年副会長を経て、53年会長。
専務時代の昭和46年にはいすゞ自動車と米GMとの提携を指揮、52年には、伊藤忠と安宅産業との合併にも尽力した。
56年相談役、62年から特別顧問。平成12年退任。
56年に総理府の臨時行政調査会(臨調)、58年に臨時行政改革推進審議会(第一次行革審)、62年第二次行革審などで委員、会長代理に就き、中曽根首相の行政改革を後押しした。
また、58年の中曽根首相の訪韓の際には、密使として地ならし役を務めた。
他に、日本電信電話取締役相談役、東京商工会議所副会頭、のち顧問、日本商工会議所特別顧問、観光政策審議会会長、亜細亜学園理事長、国際大学理事・評議員、イセ美術財団会長、稲盛財団会長、西本願寺門徒総代など役職多数。
59年に勲一等瑞宝章を受けた。
山崎豊子の小説「不毛地帯」壹岐正のモデル。(「華麗なる一族」同様、あくまでフィクション)
瀬島龍三
幾山河―瀬島龍三回想録
沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか」共同通信社社会部
瀬島龍三―参謀の昭和史」保阪正康
関連DVD
不毛地帯
瀬島利四夫 東京ピアノ工業第2代社長/龍三の弟/
戦前は、満鉄勤務。戦後は、松尾新一の誘いにより、東京ピアノ工業(イースタイン)を創業。取締役工場長、専務を経て社長。
緒方威
(たけし)
イノテック会長、伊藤忠専務/妻・繁代は瀬島龍三長女/
伊藤忠で、航空機、情報通信等の機械部門を長く担当ののち、当時、同社のネックであった建設・不動産部門のトップに転じ、リストラ・赤字処理を担当した。
松尾伝蔵 陸軍大佐、首相秘書官事務嘱託/
妻・稔穂(としお)は岡田啓介の妹、長女・清子の夫が瀬島龍三(昭和10年結婚)/
大正8年、宇都宮にあった陸軍第十四師団第五十九連隊長としてシベリア出兵に参加。
昭和11年、2・26事件時、官邸に押し入った部隊に岡田首相と間違われ射殺される。
松尾新一 東京ピアノ工業社長、陸軍大佐/伝蔵長男、妻・喜与は迫水久常の妹/
陸軍士官学校、陸軍大学校卒/
2・26事件時、中国・山海関守備隊副官(大尉)。
敗戦時、陸軍大佐。四国の善通寺師団参謀長から敗戦間際に米軍上陸に備えて編成された、護土部隊参謀長となり、決死の覚悟で籠もった四国山地の中で玉音放送を聞く。
戦後、平和国家のシンボル、文化復興のステータスシンボルであるピアノのメーカーを興す。
なお、東京ピアノ工業は、平成2年廃業となった。
松尾文夫 ジャーナリスト、共同通信マーケッツ社長、共同通信社常務/新一長男
著書・関連本
オバマ大統領がヒロシマに献花する日
銃を持つ民主主義―「アメリカという国」のなりたち
松尾友矩(とものり) 東洋大学学長(平成15年9月~21年9月)、東大工学部教授/新一次男
松尾武 NHK出版社長、NHK専務理事・放送総局長/新一の三男(養子/松尾伝蔵次男・寛二の息子)
実父・寛二は本所で薬局開業。昭和20年、東京大空襲で戦災死。
姉二人とともに、松尾新一家で実子同様に育てられた。
迫水久常
(さこみず)
迫水久常
1902~1977/大蔵官僚、内閣書記官長、経済企画庁長官、郵政相、衆議院議員・参議院議員/
大正15年大蔵省に入り、昭和5年甲府税務署長、9年岳父岡田啓介首相の秘書官となる。
2・26事件当時、首相救出に活躍。
その後12年理財局企画課長、のち総務局長、19年銀行保険局長を経て、
20年鈴木終戦内閣の書記官長となり、終戦工作の舞台裏で奔走した。
戦後22年公職追放、26年解除。昭電疑獄事件に連座し起訴されるが無罪判決。
27年衆議院議員となり2期、31年から参議院議員を4期務める。
その間、池田内閣の経済企画庁長官、郵政相を歴任した。
著書・関連本
新版 機関銃下の首相官邸―2・26事件から終戦まで
大日本帝国最後の四か月
迫水久正 大蔵官僚、鹿児島新報社会長/久常長男
岡田啓介
岡田啓介
1868~1952/首相、海相、海軍大将、連合艦隊長官/
昭和9年首相に就任。11年2・26事件で青年将校に襲われるも、危うく難を逃れるが、内閣総辞職。
のち重臣として対米開戦に反対、東条内閣打倒に努力した。
岡田啓介(「歴史が眠る多磨霊園」)
岡田啓介回顧録
岡田貞外茂
(さだとも)
海軍大佐/岡田啓介長男/
昭和19年12月26日マニラで戦死。
岡田貞寛 海軍主計少佐/岡田啓介次男
父と私の二・二六事件―昭和史最大のクーデターの真相
鈴木貫太郎
鈴木貫太郎
1868~1948/首相(終戦内閣)、海軍大将、侍従長/男爵/
2・26事件時、侍従長をつとめ襲撃され重傷を負う
鈴木貫太郎(「近代日本人の肖像」)
著書・関連本
聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎」半藤一利
宰相 鈴木貫太郎」小堀桂一郎
鈴木孝雄
鈴木孝雄
1869~1964/陸軍大将、靖国神社宮司/鈴木貫太郎の弟
鈴木武 拓務官僚、岡田首相秘書官
鈴木英(すぐる) 海軍中佐/武の弟
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])





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●参考文献
幾山河―瀬島龍三回想録」瀬島龍三/著
父と私の二・二六事件―昭和史最大のクーデターの真相」岡田貞寛/著
沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか」共同通信社社会部
瀬島龍三―参謀の昭和史」保阪正康/著
響愁のピアノ―イースタインに魅せられて」早川茂樹/著
週刊新潮 [墓碑銘]
人事興信録
日本紳士録


●花本さまより、追加情報をいただきました。
「財界」1994.4.26号 [伊藤忠の赤字処理で瀬島氏の娘婿が登板]
週刊現代 2005.2.12号 [朝日と大戦争「院政NHKの罪」]