
| ●園田博之家系図 |
| 園田二三四 |
祖父/熊本県議、一町田村長、本渡町長 |
園田直
(すなお)
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父/衆議院議員(自民党)、外相・厚相・官房長官、衆院副議長、一町田村長/熊本/
天草中/
20代で郷里の村長を務めたあと、昭和22年熊本2区から民主党公認で衆院議員に当選し、以来15回当選。
24年には、労農党の代議士だった松谷天光光と結婚し、“白亜の恋”と騒がれた。
佐藤内閣時代の衆院副議長の後、42年厚相として初入閣、水俣病、イタイイタイ病を公害病と認定。
福田内閣では51年官房長官、52年外相を歴任。
日中平和友好条約の締結に尽力し、53年8月12日同条約に外相として調印した。
その後、大平内閣の外相、鈴木内閣の厚相、外相を務めた。
政党関係は、戦後の民主党、改進党から自民党になって河野派、福田派にいたが、54年の大平首相、福田前首相による“40日抗争”では大平支持に回って福田派を除名され無派閥となった。
剣道7段、合気道8段の武道家でもある。
◆園田直 |
園田天光光
(てんこうこう)
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衆議院議員(労農党)/旧姓・松谷(まつたに)天光光/東京/
東京女子大学英語専攻部、早稲田大学法学部/
戦後、実業家の父とともに市民団体・餓死防御同盟を結成。
昭和21年、東京2区から衆院選に当選。社会党、労農党と連続3回当選。
のち立場を異にする民主党・園田直代議士と“白亜の恋”をし結婚、ジャーナリズムの話題となる。
27年以降、4度衆院選に落選。その後、45年アジア福祉教育財団理事、56年自民党各種婦人団体連会長、竹光会会長を歴任。
61年、夫の死を受けて熊本2区から立候補したが落選。
平成3年ロンドン郊外ベリー・セント・エドマンズ市にマナースクール、セント・エドマンズ・レディース・カレッジを開校。
日本・ラテンアメリカ婦人協会会長、日中平和友好連絡会会長なども務める。
■園田天光光インタビュー (JACOM) |
| 園田博之 |
衆議院議員(自民党)、園田直秘書/熊本/
日本大学/
■園田博之オフィシャルサイト |
| 園田直飛人 |
園田直秘書 |
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