| ●藤田雄山家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア /解説: 「新訂 政治家人名事典 明治〜昭和」、他) |
| 藤田一郎 |
大伯父/藤田組(現・フジタ)組長・創業者/
明治43年、広島市で土木建築請負業を開業。 |
| 藤田定市 |
祖父/1889〜1973/フジタ工業会長、藤田組副組長・共同創業者、広島商工会議所会頭/
明治43年土建請負業をはじめ、昭和19年藤田組(のちフジタ工業、さらにフジタに改称)社長に就任。
37年会長。この間、中国放送の設立に参加、27〜45年会長を務めた。 |
大原博夫
(ひろお) |
祖父/広島県知事、衆議院議員、広島県議・議長、医師/広島/
慈恵医大/
医院を経営し、大日本医師会理事、広島医師会会長などを歴任。
昭和21年、衆議院議員。26年広島県知事に当選、連続3期務めた。
◆「大原博夫伝」 |
藤田一暁
(かずあき) |
伯父/1920〜1991/フジタ会長・社長/
昭和18年父・定市が創業した藤田組に入り、24年監査、26年取締役、
32年副社長を経て、37年社長に就任。
46年フジタ工業と改称。平成2年6月会長兼任。同年12月フジタに社名変更。
一方、38年日本青年社長会・YPOを設立、のちYPOを卒業したNPO(日本社長会)の会長を務める。
平成3年鳥取女子短大理事長に就任。 |
| 藤田正明 |
父/1922〜1996/参議院議員(自民党)、参議院議長、馬主/広島/
早稲田大学商学部/
昭和19年、藤田組に入社。35年常務、37年副社長を経て、40年参院議員に初当選。
大蔵政務次官、参院大蔵委員長、51年総理府総務長官兼沖縄開発庁長官、
55年自民党参院幹事長を歴任、61年7月参院議長となる。
63年9月病気のため辞任。当選4回。平成元年引退。
トウショウボーイの馬主としても有名だった。 |
| 遠藤政夫 |
参議院議員(自民党)、労働官僚/福岡/
東京帝大法学部/
労働省に入り、昭和47年職業訓練局長、48年職業安定局長を歴任。
49年国際職業安定会会議(アメリカ)、51年世界会議(スイス、フランス)に政府代表として出席。
52年参院議員に当選。当選2回。平成元年落選。
選挙後、地元の久留米市議に対する大がかりな買収が明らかになった。
4年無所属で立候補したが、再び落選し引退した。
◆「老後と住宅への挑戦 」
「完全雇用政策の理論と実践」
ほか |
| 佐藤進 |
佐藤製薬会長・社長/佐藤家は佐藤製薬創業一族 |
| 藤田雄山 |
広島県知事、参議院議員(自民党)/広島/
慶応大学/
■藤田雄山 全国知事会ホームページ |
| 藤田公康 |
ビーアールホールディングス社長、東和不動産会長 |
| 藤田衛成 |
馬主、トウショウ産業代表 |
| 藤田一憲 |
フジタ社長/
平成3年社長に就任するも、バブル崩壊の影響により経営悪化。
9年、一族の経営責任を問われ退陣。 |
| 塩澤護 |
養命酒製造社長(第8代)/塩澤家は養命酒製造創業一族 |
| 塩澤公朗 |
北野建設専務 |