| ●中原淳一家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア) |
| 中原淳一 |
挿絵画家、デザイナー、雑誌編集者/
大正14年上京して画業を学ぶ。昭和7年、銀座松屋で開いたフランス人形展で、注目を集めたのが機縁で、翌年、雑誌「少女の友」に挿絵画家として迎えられる。
暗い世相を物憂げに、つぶらな大きな瞳で見つめる少女の絵が毎号の表紙を飾り、彼自身が企画・デザインした「啄木かるた」「ファッションブック」などの付録とともに少女読者の心をとらえた。
しかし、やがて軍の抑圧を受け、15年同誌を去ることになる。
敗戦後の混乱期、耐乏生活をしいられた若い女性に向けて21年、雑誌「それいゆ」を創刊、衣裳やヘア、インテリアのデザインを通して新時代のくらしの青写真を示す。
翌22年創刊の少女向け「ひまわり」は、手近な素材でも暮らしを彩る“モノ”が創れることを示したが、その素材さえままならぬ少女達に改めて敗戦の実感を与え、むしろそこから立ち上がる希望を与える夢物語として熱狂的に支持された。
25年には、ミュージカル「ファニー」を上演するなど、総合芸術家・企画家としての才も発揮したが、“モノ”が氾濫する高度経済成長期になると、新奇な“モノ”を創り出し続けてきたこの芸術家が十分に活躍できる余地はなかった。
■中原淳一ホームページ
◆中原淳一
「美しく生きる―中原淳一その美学と仕事」別冊太陽 |
| 葦原邦子 |
女優、タカラヅカ男役トップスター/本名・中原(旧姓岡本)英子/
尼崎市立高等女学校卒業後、昭和3年宝塚音楽歌劇学校へ入る。
春日野八千代と同期。愛称アニキ。4年春宝塚大劇場「春のをどり」で初舞台を踏み、傑出した歌唱力で早くから声楽専科生となり、7年「サルタン・バンク」の道化師ピエール役を出世作に、小夜福子と並んで、第1期宝塚歌劇黄金時代の双璧をなした。
14年「桃花春」東京公演を最後に退団、中原淳一と結婚後は、中原主宰の雑誌記者やTV教育番組への出演などで活躍、帝劇ミュージカル「スカーレット」その他への出演もあった。
油絵の個展、歌のリサイタル、女優、そして後進の指導と、多才ぶりを発揮した。
◆葦原邦子
「夫 中原淳一 」
「わが歌人生」」
◆関連CD |
| 中原洲一 |
画家/二男二女の長男、姉・芙蓉、弟・蒼二、妹・すみれ/
◆「父 中原淳一 」 |
| 中原蒼二 |
次男/
◆中原蒼二
「中原淳一絵葉書絵本―戦前から戦後まで 淳一少女絵葉書のすべて 」 |
加古隆
(かこ) |
作曲家、ピアニスト/妻・すみれは中原淳一次女/
■加古隆HP
■「作家で聴く音楽」 第13回
◆加古隆
◆CD加古隆
◆関連DVD
「NHKスペシャル 映像の世紀」
◆「中原淳一のひまわり工房 」中原すみれ/編 |
| 中原貫一 |
建築家/淳一の兄 |
| 中原美紗緒 |
シャンソン歌手/NHK紅白歌合戦連続7回出場/
東京芸術大学声学科卒/
昭和30年、「パリのお嬢さん」で華々しくデビュー。
可愛らしい顔と明るい歌声で人気者となり、「フルフル」「河は呼んでいる」などが大ヒットした。
34年テレビ「あんみつ姫」で初代あんみつ姫を演じ、お茶の間の人気をさらった。
41年育児のため一時引退するが、12年間のブランクを経て、53年シャンソン界に復帰。
小劇場でのミニコンサートを主に活動。平成3年自叙伝「唄(シャンソン)に恋して 」を出版。
6年食道がんの手術を受ける。8年復帰コンサートを開催するも、平成9年没。
◆中原美紗緒
◆関連CD |
| 室敏明 |
プレイガイドトラベル社長/広島県・室友次の二男 |
| 室希太郎 |
映像プロデューサー/
■映像のヴォーグ
◆関連DVD |