近現代・系図ワールド
その時々の話題の人物、
あるいは、旧華族・皇族や、
政財界人・学者芸能・文化人など
近現代の先覚者たちを知り、
家系図を通して、それらの人物を
「点」から「線」へとつなぐサイトです。

■関連ページ
系図でみる近現代
      
参考文献 皇室関連本 旧皇族・華族関連本 日経新聞書評本 書籍検索
リンク&参考サイト タカラヅカ人脈 テレビドラマ相関図 系図でみる近現代 政治家系大事典






「NHK」、松平定知と磯村尚徳


松平定知アナウンサーは、かつての“ミスターNHK”磯村尚徳キャスターとの関係や、
自身の出自を、著書負けずにキザですがで、こう語っています。


『私は彼の従弟にあたります。私の父の妹が彼の母親という関係です。
外形がよく似ていると、たくさんの方たちからいわれます。
当人たちは、お互いに、「あんなもんじゃない」と笑い合っているのですが・・・・。

本籍は愛媛県松山市。住んだことはありません。
私は仲間から「殿」なんて呼ばれてますが、大したものじゃありません。
徳川家康の異父弟・久松定勝を祖とする久松松平の傍流の末裔です。育ちは東京です。』




徳川家康・異父弟の系統「久松松平家」


徳川家康の生母・於大の方(伝通院)が久松俊勝に再嫁し、
そこで生れた久松康元康俊(勝俊)・定勝は、家康の異父弟にあたり、
この3人に「松平」姓が与えられた。(下記系図参照)

そして、明治になり大名から、華族に列せられた久松松平家は四家あるが、
伊勢桑名藩主家(寛政の改革・松平定信の系統)以外の大名家は明治元年、久松姓に復した。
(分家は松平姓)


松平アナウンサーは、
久松(松平)定勝松平定行から始まる伊予松山藩主家の分家。

本家は明治になり、伯爵に叙せられた。
ちなみに、伯爵家久松定謨(さだこと)長男・久松定武は、
戦後、昭和26年より20年間、愛媛県知事を務めた。


ウィキペディア「久松氏」によれば、

「次男定行定勝のあとを継承して伊予松山藩15万石の祖となった。
この家系から1千石の旗本1家が分家として出た。」

とあるので、松平アナは、この旗本家にあたるのでしょうか。
また、どの代から、分家したのでしょうか?



松平アナ!

久松松平家と、自身の家の解説を、


ぜひとも、「その時歴史が動いた」で!!



追記

「匿名希望さま」より情報いただきました。

十数年前のNHKの歴史特番で、キャスターとして松平さんが、
ご先祖さまの役「幕末の旗本で松平源太夫」という名前で、出演されていたとの事。

その名前は、「大武鑑」にも掲載されているとの事です。


追記2

上記・NHKのテレビ番組は「クロフネ」というタイトルでした。

週刊新潮1994(平成6)年7/28号の記事から、一部抜粋すると、

『当世これだけ月代(さかやき)が似合う人材は、時代劇俳優の中にもそうはいないだろう。
それだけに羽織袴姿が、映えるのも当然か。
なにしろこの人、徳川家康の異父弟の末裔なのだから。
 話題の主は、NHKの松平定知アナ。
14日に放映された幕末ニュースショー「クロフネ」で、松平源太夫勝文
すなわち4代前のご先祖に扮したのだ。
 嘉永7年3月3日、横浜応接所で、日米和親条約が締結されてから、今年で140年。
当時、もしテレビがあったなら、どう報道されていたか。
NHKならぬ“エドHKニュース”のキャスターというのが松平アナの役どころだ。』


松平源太夫勝文 まさに、はまり役・・・

再放送で見たい。

(肩の後ろは女の子)

久松松平家








Google
 
Web 「系図でみる近現代」
「近現代・系図ワールド」


●松平定知家系図
松平定振 祖父/伊予松山藩主・久松松平家の分家筋/
※「松平定振」という名は「平成新修旧華族家系大成」などで、伊勢神戸藩主・本多家(子爵)の項目で見受けられるが。
松平定堯 父/陸軍大佐
萩駿
(たかし)
叔父/洋画家/姉が松平定知の母/
昭和33年、新象作家協会創立に参加。59年第10回日仏現代美術展にてロイユ賞、平成元年第15回日仏現代美術展にてアートよみうり賞を受く。
大阪府高槻市から滋賀県高島市へ移り、平成10年、比良美術館を開設。
著書に「デッサン概論」、「油絵講座」、「萩駿自選歌曲集」。
比良美術館(期間限定の開館)
松平定知 NHKアナウンサー/
松山藩主松平定勝を始祖とする愛媛県の久松松平家の末裔。
昭和44年にNHKに入り、高知放送局を経て、49年から東京アナウンス室。
「歌のビッグステージ」「ひるのプレゼント」「ニュースワイド」「連想ゲーム」などを担当。
その後、「7時のニュース」の歯切れ良いアナウンスぶりで話題になる。
平成元年4月からは「モーニングワイド」担当。
2年部長級を飛び越してエグゼクティブアナウンサー(局次長級)に昇進。
7年4月「ニュース11」でキャスター、12年「その時歴史が動いた」キャスターを務める。
14年エグゼクティブアナウンサー(理事待遇)。
◆「負けずにキザですが
「その時歴史が動いた」DVD
磯村年
(とし)
陸軍大将/
妹は陸軍中将・藤田進に、娘は陸軍中将・国分新七郎に嫁す。
磯村武亮
(たけすけ)
陸軍中将/
終戦直前の昭和20年7月、山梨県上空で乗機が撃墜され戦死・中将進級。
磯村尚徳
(ひさのり)
NHK専務理事待遇特別主幹、外交評論家、パリ日本文化会館館長、ユネスコ事務総長特別顧問/
幼時トルコ、フランスで育つ。昭和28年NHK入局。
インドシナ、中東、パリ各特派員、ワシントン支局長、外信部長などの後、NC9(ニュースセンター9時)のキャスターをつとめ人気を博した。
53年ヨーロッパ総局長、57年報道局長を経て、59年7月特別主幹となる。
61年5月からは「ワールドネットワーク 世界はいま」のキャスターをつとめる。
平成3年、都知事選に出馬するが、当時現職だった鈴木俊一都知事に敗退。
以後フリーの外交評論家として活躍。4年4月国学院大学日本文化研究所の専任教授に就任。
7年パリ日本文化会館初代館長。9年長野冬季五輪開会式の総合司会者に起用される。
著書・関連本
日本人はなぜ世界が読めないのか ― カルロス・ゴーンの成功の秘密
ちょっとキザですが
鈴木忠治 昭和電工社長、味の素創立者/
兄・2代目鈴木三郎助(鈴木商店)のヨード製造事業に加わり、明治42年“味の素”を製造発売。
大正6年東信電気を創立、専務。14年株式会社鈴木商店(のちの味の素株式会社)専務。
昭和6年兄に死により、鈴木商店、東信電気各社長。
9年昭和酒造(現・三楽)創立、11年昭和肥料取締役会長、15年昭和電工社長となり、鈴木商店社長を辞任。
18年内閣顧問、同年味の素製造を中止、戦後味の素株式会社と改称して製造再開。
◆「鈴木忠治―小伝と追憶」鈴木三千代
鈴木竹雄 商法の権威/商法学者、弁護士、東大名誉教授/
鈴木竹雄
幾山河―商法学者の思い出



上へ戻る




●参考文献
日本陸海軍総合事典」秦郁彦/編
負けずにキザですが」松平定知
日本史諸家系図人名辞典
テレビ・タレント人名事典
ちょっとキザですが」磯村尚徳
知られざる王国NHK」大下英治





近現代人物
あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行
ら行
わ行
政治家系大事典
携帯サイト
華族〜近代日本の名家〜











     
CopyRight (C) yumekandou.com. All Rights Reseved.