| ●松平定知家系図 |
| 松平定振 |
祖父/伊予松山藩主・久松松平家の分家筋/
※「松平定振」という名は「平成新修旧華族家系大成」などで、伊勢神戸藩主・本多家(子爵)の項目で見受けられるが。 |
| 松平定堯 |
父/陸軍大佐 |
萩駿
(たかし) |
叔父/洋画家/姉が松平定知の母/
昭和33年、新象作家協会創立に参加。59年第10回日仏現代美術展にてロイユ賞、平成元年第15回日仏現代美術展にてアートよみうり賞を受く。
大阪府高槻市から滋賀県高島市へ移り、平成10年、比良美術館を開設。
著書に「デッサン概論」、「油絵講座」、「萩駿自選歌曲集」。
■比良美術館(期間限定の開館) |
| 松平定知 |
NHKアナウンサー/
松山藩主松平定勝を始祖とする愛媛県の久松松平家の末裔。
昭和44年にNHKに入り、高知放送局を経て、49年から東京アナウンス室。
「歌のビッグステージ」「ひるのプレゼント」「ニュースワイド」「連想ゲーム」などを担当。
その後、「7時のニュース」の歯切れ良いアナウンスぶりで話題になる。
平成元年4月からは「モーニングワイド」担当。
2年部長級を飛び越してエグゼクティブアナウンサー(局次長級)に昇進。
7年4月「ニュース11」でキャスター、12年「その時歴史が動いた」キャスターを務める。
14年エグゼクティブアナウンサー(理事待遇)。
◆「負けずにキザですが 」
◆「その時歴史が動いた」DVD |
磯村年
(とし) |
陸軍大将/
妹は陸軍中将・藤田進に、娘は陸軍中将・国分新七郎に嫁す。 |
磯村武亮
(たけすけ) |
陸軍中将/
終戦直前の昭和20年7月、山梨県上空で乗機が撃墜され戦死・中将進級。 |
磯村尚徳
(ひさのり) |
NHK専務理事待遇特別主幹、外交評論家、パリ日本文化会館館長、ユネスコ事務総長特別顧問/
幼時トルコ、フランスで育つ。昭和28年NHK入局。
インドシナ、中東、パリ各特派員、ワシントン支局長、外信部長などの後、NC9(ニュースセンター9時)のキャスターをつとめ人気を博した。
53年ヨーロッパ総局長、57年報道局長を経て、59年7月特別主幹となる。
61年5月からは「ワールドネットワーク 世界はいま」のキャスターをつとめる。
平成3年、都知事選に出馬するが、当時現職だった鈴木俊一都知事に敗退。
以後フリーの外交評論家として活躍。4年4月国学院大学日本文化研究所の専任教授に就任。
7年パリ日本文化会館初代館長。9年長野冬季五輪開会式の総合司会者に起用される。
◆著書・関連本
「日本人はなぜ世界が読めないのか ― カルロス・ゴーンの成功の秘密 」
「ちょっとキザですが 」 |
| 鈴木忠治 |
昭和電工社長、味の素創立者/
兄・2代目鈴木三郎助(鈴木商店)のヨード製造事業に加わり、明治42年“味の素”を製造発売。
大正6年東信電気を創立、専務。14年株式会社鈴木商店(のちの味の素株式会社)専務。
昭和6年兄に死により、鈴木商店、東信電気各社長。
9年昭和酒造(現・三楽)創立、11年昭和肥料取締役会長、15年昭和電工社長となり、鈴木商店社長を辞任。
18年内閣顧問、同年味の素製造を中止、戦後味の素株式会社と改称して製造再開。
◆「鈴木忠治―小伝と追憶」鈴木三千代 |
| 鈴木竹雄 |
商法の権威/商法学者、弁護士、東大名誉教授/
◆鈴木竹雄
「幾山河―商法学者の思い出 」 |