
牧野伸顕は大久保利通の次男に生まれ、親戚である牧野家の養子に入った。
伸顕は外交官から閣僚を歴任し、のち内大臣となり、
明治・大正・昭和の宮中・政治・外交などに深く関わった。
大久保家は薩摩藩士で、大久保利通は幕末に諸国の志士と交わり、
藩主を補佐して藩論を統一し、王政復古に偉功があった。
よって、明治2年賞典禄1800石を給された。
ついで内務卿・大蔵卿となり新政府の柱石としてその基礎を確立する事に尽力したが、
明治11年凶刃に倒れた。
大久保家の祖先は、戦国時代に薩摩にやってきて、島津家の家臣になった。
利通の父、大久保利世は、下級武士であったが、陽明学や禅学に通じ、
身分にこだわらずに町人や百姓とも交際する、磊落な人物であった。
また、利通の母方の祖父・皆吉鳳徳(みなよしほうとく)は藩医で、蘭学を学び
日本最初の西洋式船舶「伊呂波丸」(帆船)を建造した一人として知られる。
利通は、父と、この祖父の感化を受けたとされる。 |
| ●大久保・牧野家系図 |
牧野伸顕
(のぶあき) |
明治12年外務省に出仕し、以後諸官に勤務し、諸制度の整備・取調等にあたり、
内閣記録局長、福井・茨城各県知事、文部次官、
イタリア・オーストリア・スイスの各公使等を歴任。
39年第1次西園寺内閣の文部大臣となり、翌40年11月勲功により男爵を授けられた。
その後、第2次西園寺内閣の農商務大臣、第1次山本内閣の外務大臣等を務め、
大正8年講和全権委員となり、翌9年9月対独平和条約締結、シベリア出兵の功により
子爵に陞爵した。10年宮内大臣となり、14年内大臣に転じ、輔弼の功労が多かった。
さらに大正14年4月伯爵に陞爵した。
◆著書・関連本
「回顧録〈上巻〉 」「回顧録〈下巻〉 」
「牧野伸顕日記 」 |
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