| ●熊谷正寿家系図 |
| 伊庭秀長 |
心形刀流6代目/伊庭家は、剣術・心形刀流(しんぎょうとうりゅう/しんけいとうりゅう)の宗家 |
| 伊庭秀淵 |
心形刀流7代目 |
| 三橋成方 |
幕府勘定吟味役 |
伊庭秀業
(ひでなり) |
心形刀流8代目/旧名・三橋銅四郎/
7代秀淵の最も剣技に優れた門人であり、婿養子となる。
妻・ユウは22歳で早世、秀淵の兄の養女・マキを後妻に迎える(伊庭八郎・想太郎の母) |
| 伊庭秀俊 |
心形刀流9代目/旧名・塀和(はが)惣太郎(総太郎)/
8代秀業が隠居時、長男・八郎がまだ2歳であり、門人の中より養子となる。 |
伊庭八郎
(いば) |
1843〜1869/幕末期の直参、遊撃隊長/
文武に優れ、講武所に入る。1868年遊撃隊士として鳥羽・伏見に戦い、負傷して江戸に帰る。
その後も徹底抗戦を主張し、遊撃隊長として上総国木更津に海路上陸し、同国請西藩主・林忠崇を説き、ともに兵200余を率いて箱根関所を占拠、官軍の後方を衝くが、敗れて片腕を失う。
さらに、彰義隊に加わって上野戦争に敗れ、東北、箱館と転戦、榎本武揚軍に合流。
翌年4月9日、銃傷を受け、5月12日没した。
幕末期有数の剣客であった。
◆伊庭八郎
「伊庭八郎のすべて 」
「幕末遊撃隊 伊庭八郎 」長谷川つとむ
「伊庭八郎征西日記」 |
| 伊庭想太郎 |
1851〜1903/東京農学校校長、星亨暗殺者/心形刀流10代目/
旧唐津藩主家・小笠原長生(のち海軍中将)の家庭教師を務めた。
一方、私塾文友館を創設、のち東京農学校校長。日本貯蓄銀行設立に参与した。
明治34年「東京市政の腐敗の元凶だ」といって、東京市役所で東京市会議長星亨を刺殺。
無期懲役となり、在獄中の40年病死した。 |
| 伊庭秀栄 |
医学士 |
伊庭孝
(たかし/こう) |
1887〜1937/音楽評論家、演出家、劇作家、俳優/伊庭想太郎の養子/
同志社大学中退後、警醒社の洋書係となる。
明治45年「演劇評論」を創刊し、また近代劇協会を創立。
演出家、劇作家として活躍し、新劇社、PM公演社も主宰するなど、草創期の新劇運動に貢献する。
大正6年には歌舞劇協会を組織し、浅草オペラの発展に寄与する。
また12年頃からは楽壇に進出、昭和2年近衛秀麿らとラジオで歌劇を放送し、解説にあたるなど、オペラ運動の先駆者となる。
また、邦楽の理論化にもつくした。
著書に「音楽読本」「日本音楽概論」「雨安居荘雑筆」などがある。
◆伊庭孝 |
熊谷巌
(いわお) |
1883〜1933/衆議院議員(政友会)、警察官僚、弁護士/岩手県
妻は伊庭秀栄の長女、兄・熊谷平助(2代目)は、東北漁業代表取締役、宮古銀行頭取/
明治42年、東京帝国大学独法科を卒業し、東京府属、同南葛飾郡長、同荏原郡長、同理事官、佐賀県警察部長、警察講習所教授、警視庁保安部長を歴任し、のち弁護士開業。
鉄道会議議員となり、また立憲政友会総務となる。大正13年より当選4回。 |
| 熊谷新 |
熊谷興業創業者 |
熊谷正寿
(まさとし) |
GMOインターネット会長兼社長/
1963(昭和38)年長野県に生まれる。平成3年、ボイスメディア設立。
7年、ボイスメディアからインターキューに、13年グローバルメディアオンライン(GMO)に社名変更。
16年東証2部に上場。17年GMOインターネットに商号変更、東証1部上場。
ハウジングとホスティング、サイト制作、インターネット上のメディア各種の開発と運営を行う。
■ブログ「クマガイコム」
◆熊谷正寿
「一冊の手帳で夢は必ずかなう - なりたい自分になるシンプルな方法 」 |
岡田捷五郎
(しょうごろう) |
1894〜1976/建築家、東京芸術大学教授/岡田信一郎の弟、妻は伊庭秀栄の四女/
大正9年滝川工務店に入るが、同年から11年まで赤羽工兵第一大隊に服務。
除隊後、兄信一郎の建築設計事務所で設計を手掛け、13〜15年欧米の建築を視察。
帰国後も岡田信一郎事務所で設計監理に従事し、昭和7年兄の死後はあとを受けて建築設計事務所を経営。
一方、2年から東京美術学校建築科講師となり、18年同校教授に就任。
東京芸術大学教授、37年名誉教授となった。
のち南建設相談役、信建築事務所顧問、日本建築士会理事長などを務めた。
主な作品に琵琶湖ホテル、日本出版クラブ、旺文社本館など。
◆「あなたの住宅設計」岡田捷五郎、山本学治 |
| 岡田信一郎 |
1883〜1932/建築家、東京美術学校教授/
東大大学院で研究、一方早大講師、東京美術学校教授として建築史、建築意匠を講じた。
建築家としては、大正元年、大阪市中之島中央公会堂指名競技設計1等賞、14年鉄筋コンクリート造りの東京歌舞伎座、鎌倉国宝館、15年ギリシャ様式の東京府美術館、震災で焼け落ちたニコライ堂ドームの設計、昭和9年ルネサンス様式の明治生命ビルなどがある。
どのような様式でも自由に使いこなし“様式建築の名手”といわれた。
◆「近代日本の異色建築家」近江栄、藤森照信 |
萬龍
(まんりゅう) |
芸妓/
明治33年、許可になった私製はがきの「美人絵葉書」にモデルとなり、明治一の美人と評判になった。 |