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華族~近代日本の名家~

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槇村正直 系図 (※転載禁止)




槇村正直―その長州藩時代
槇村正直―その長州藩時代

葬儀レビ 1210追加

●槇村正直家系図
槇村正直
槇村正直
京都府第2代知事、元老院議官、行政裁判所長官、貴族院議員/男爵/
羽仁正純、常子の次男。槇村家に養子入り、のち娘・千賀と結婚/
羽仁家の『先祖は戦国の世に中国で毛利家に仕えた保垣氏で、毛利元就に従って防長へ移って大田村に住み、
無禄(八石八斗とも)で藩と接触、代々地元子弟の教育にあたってきた。』
(「維新 京都を救った豪腕知事―槇村正直と町衆たち」より)/
実兄・羽仁稼亭は『弘化年間(1844~48年)頃、村塾「温故堂」で教え、
安政6年(1859年)には萩の藩校明倫館に招かれて書道を教授した。慶応元年(1865年)正月、死去。/
『当家(槇村家)の祖満之は、母が毛利宗広の乳母となったことから延享4年毛利家に仕え、以後山口藩士であった。
正直は維新の際国事に尽くし、維新後京都府に出仕し、明治10年京都府知事に進んだ。
同14年元老院議官となり、功により同20年5月男爵を授けられた。その後行政裁判所長官、貴族院議員となった。
正介の死後後継者を欠き、昭和8年2月爵位返上となった。』(「平成新修 旧華族家系大成(下巻)」より)/
先妻・千賀は槇村五八郎満久次女。後妻・勝子は京都人・今村善兵衛次女。
先妻・千賀(明治12年没)との間に長男・正介、長女・梅子、後妻・勝子との間に次女・良子、三女・芳子、次男・直亮。
槇村正直
槇村正直―その長州藩時代」布引敏雄
槇村正介(まさすけ) 国立第二高等学校教授/男爵/槇村正直長男/
明治17年9月、東京大学予備門に入学したが、同年11月退学して18年3月ドイツへ留学、9年後の27年2月帰国。
翌年8月、仙台の国立第二高等学校ドイツ語教員となり、のち教授。
明治29年、父・正直の死により31歳で家督を相続後は東京市外西巣鴨宮仲に住んだ。
昭和5年67歳で死去。遺族なく絶家。
新宮涼亭 医師/江戸末期の名医として名高く、京都医学中興の祖といわれる新宮涼庭の孫にあたる(血縁はない)/大正11年没/
妻・梅子は槇村正直長女。槇村正介の姉。
内藤政共(まさとも) 海軍造船大技士、貴族院議員/三河拳母藩(愛知県豊田市)二万石最後の藩主。内藤家8代/子爵/
妻・良子は槇村正直次女(明治29年26歳で没)/
明治14年、工部大学校(のち東京帝大工学部)卒。英と西欧諸国で船舶用機器の研究をし、18年5月帰国。
内藤政光 貴族院議員/妻・道は松平頼平長女/子爵/
子がなく、内藤政恒(侍従、式部官、玉川大学教授/日向延岡藩内藤政挙(まさたか)六男)を迎えて嗣とした。/
東京帝大文学部国史学科卒(大正11年)/
大正13年以降、実践女子専門学校、国士舘専門学校各講師、
帝室博物館歴史課事務嘱託、同館学芸委員、外務省調査局勤務等となる。
松平頼平
松平頼平
常陸松川藩松平家/子爵
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])





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●参考文献
維新 京都を救った豪腕知事―槇村正直と町衆たち」明田鉄男
槇村正直―その長州藩時代」布引敏雄
平成新修 旧華族家系大成(下巻)」霞会館
「華族大観」西邑木一
「議会制度百年史 (貴族院・参議院議員名鑑)」