近現代・系図ワールド
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山田五十鈴系図











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●家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア
山田九州男(くすお) 新派俳優/旧芸名・山田不二男/
山田五十鈴 女優/母・律は元大阪北新地の売れっ子芸者/
数え6歳より、常盤津、長唄、清元、踊りの稽古に通い始める。
昭和5年、日活入社。デビュー作「剣を超えて」では大河内伝次郎の相手役だった。
愛称“ベル”で日活時代劇のトップ女優に。
新興キネマを経て東宝に転じ、「鶴八鶴次郎」「婦系図」などで長谷川一夫と共演、大ヒットを続ける。
昭和17年から長谷川と新演伎座を結成するが、戦後解散。
昭和27年、加藤嘉と現代俳優協会を設立、独立プロ作品にも多数出演した。
「現代人」「流れる」「蜘蛛巣城」「どん底」などで各種の主演女優賞を獲得。
平成5年秋、文化功労者に。12年女優で初めて文化勲章を受章。
山田五十鈴
山田五十鈴―映画とともに
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月田一郎 俳優/
大学時代、映画俳優を志し、松竹蒲田のスター鈴木伝明に師事。
昭和4年、法政大学を中退し松竹入社、「山の凱歌」で端役デビュー。
5年小津監督「落第はしたけれど」の大学生役に抜擢。
6年“31年型美男子”と売り出されるが、伝明の不二映画創立について松竹退社。
8年解散後は新興キネマへ。9月第一映画社に参加。
11年共演者だった山田五十鈴と結婚、のちの嵯峨三智子をもうける。
11年第一映画社解散後は、新興京都へ。13年東宝へ移籍。17年山田と離婚した。
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嵯峨三智子 女優/
父母が離婚後、月田の母親の許で育てられる。
昭和27年に東映入社、31年に松竹移籍。
他社作品にも数多く出演し、30年代半ばまで、時代劇を中心に年間十数本のペースで映画出演する売れっ子になる。
代表作に「こつまなんきん」「恋や恋なすな恋」などがあり、母・五十鈴との初共演作「おしどりの間」は話題を呼んだ。
テレビ・ラジオ・舞台などにも進出したが、42年頃からトラブル続きで映画出演が減り、奇行癖の持ち主として知られるようになる。
その後は、芸能界復帰と失踪を何度となく繰り返した。
その特異な個性と天性の色気、演技力により、一時期は松竹の看板女優とみなされていた。
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瀧村和男 東宝プロデューサー
加藤嘉
  (よし)
俳優/
昭和9年、舞台俳優として出発し、新築地劇団、新協劇団などに参加するが、21年からは映画に専念。
50年代の代表作「米」をきっかけに、多くの巨匠、若い監督たちに珍重され、得がたい性格俳優として強い印象を残す。
なかでも「砂の器」の老巡礼、「神々の深き欲望」の離島の区長の演技が光る。
その延長線上に花開いた演技「ふるさと」で1983年度モスクワ国際映画祭主演男優賞を受賞した。
下元勉
(しももと)
俳優/
昭和11年、新協劇団研究所に入る。
13年応召。復員後の24年、劇団民芸の創立に参加し、47年に民芸を退団してフリーになるまで数多い民芸の作品に出演。
映画出演は27年「母のない子と子のない母と」の助演以来、「原爆の子」「真空地帯」「真昼の暗黒」など多数。
特に35年の山本薩夫監督「武器なき斗い」では、主役の大学教授を演じて評判となった。
テレビでも活躍する一方、60年からロベール・トマ原作の舞台「罠」の地方公演を行う。
趣味は玄人はだしのカメラ、他に俳句、陶器収集、硯彫りなど多彩。



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●参考文献
紫陽花や山田五十鈴という女優」升本喜年
君美わしく」川本三郎
テレビ・タレント人名事典 第6版」日外アソシエーツ
「芸能人物事典 明治大正昭和」日外アソシエーツ
「芸能・タレント人名事典」日外アソシエーツ





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