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黒柳徹子 系図 (※転載禁止)



そらのる 1210追加

●黒柳徹子家系図
田口修治 ジャーナリスト、報道カメラマン、映画製作者、日本ニュース映画社NY支社長/
黒柳守綱の兄。徹子の伯父/
シュウ・タグチ/日本の記録映画、ニュース映画の草分け。
田口寧 記録映画プロデューサー
黒柳守綱(もりつな)
黒柳守綱
1908~1983/バイオリニスト/黒柳徹子の父/
父は医者で東京・本所教会の長老を務めたクリスチャン。
8歳の時、父が亡くなり、12歳で三越の社員となった。
そこで、音楽部に入りバイオリンを学び、三越音楽隊で演奏した。/
『チョッちゃんの夫・黒柳守綱は、山田耕筰にみいだされ、“天才少年バイオリニスト”と騒がれた人であった。
(「弟がみたホントの「チョッちゃん」」)より』/
長女・徹子、長男・明児(めいじ)、二男・紀明、二女・眞理、三男・貴之(たかし/父49歳・母47歳時の子)。
長女、長男(9歳で早世)意外は、結婚して家庭を持つ。/
『昭和12年から5年間、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)のコンサートマスター。
戦後も東京交響楽団に加わり演奏活動を続ける一方、
毎日音楽コンクール審査員を務めるなど後進の育成に当たった。
57年から日本音楽コンクール、海外派遣コンクールに“黒柳守綱賞”を寄託。
(「新撰 芸能人物事典―明治~平成」日外アソシエーツ)より』
黒柳朝(ちょう) エッセイスト/朝子(ちょうこ)/チョッちゃん/
東洋音楽学校(東京音大の前身)声楽科卒。2年上の上級生には淡谷のり子がいた。
結婚後も、アルバイトとして、新響で斎藤秀雄の妻たちと一緒にコーラスをやっていた。/
チョッちゃんが行くわよ」等を執筆、NHK朝の連続テレビ小説「チョッちゃん」(1987年前期)のモデルとなった。
黒柳朝
チョッちゃんは、もうじき100歳
トットちゃんと私
黒柳徹子
黒柳徹子
タレント、女優、エッセイスト、ユニセフ親善大使/トットちゃん/
黒柳守綱・朝の長女。昭和8(1933)年生/
母方叔父・門山修二によれば、『徹子の顔立ちは、祖母(母方)似である。
が、旺盛な好奇心や、その器用さは祖父(母方)に似ていると私は思う。
そして、なにより明るい性格は母のチョッちゃんから受け継いだものだろうと思われる。』/
東京音大声楽科卒業後、NHK放送劇団に入り、昭和29年ラジオ「ヤン坊ニン坊トン坊」でデビュー。
以来、NHKの歴史に残るテレビ番組「魔法のじゅうたん」「夢で逢いましょう」「若い季節」など、
NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。
その後、文学座研究所、NYのメリー・ターサイ演劇学校などで学び、
米国のテレビ番組「トゥナイト・ショウ」など多くのテレビ番組に出演。
一方、舞台女優としても活躍。
昭和56年に発表した自伝エッセイ「窓ぎわのトットちゃん」は、
大ベストセラーとなり日本新記録を達成、世界各国で翻訳されている。
同年、その印税で社会福祉法人トット基金を設立した。
昭和51(1976)年から、トーク番組「徹子の部屋」の司会を務め、現在に至る。
黒柳徹子
小さいころに置いてきたもの
トットちゃんと地球っ子たち―黒柳徹子ユニセフ親善大使28年の全記録」田沼武能
黒柳紀明 バイオリニスト/
黒柳守綱・朝の二男。徹子の弟
黒柳眞理 美容師、エッセイスト、タレント、バレリーナ/黒柳守綱・朝の二女。徹子の妹/
眞理(1944年)→友理(1950年)→眞理(1999年)と二度改名。(戸籍上はずっと「眞理」)/
小学生の頃より、小牧正英のバレエ学校に通い、姉・徹子と同じ香蘭女学校を経て、
クラシック・バレリーナになるべく、チャイコフスキー記念東京バレエ学校に入る。
ボリショイ、レニングラードバレエ団と共に、日本全国を公演で回る。しかし、19歳の時、
悪性の捻挫によりバレリーナへの道を断念。手先が器用な事もあり、美容師への道を歩む。
バレエ学校時代、六大学野球・慶大の選手だった井石礼司と慶応のパーティで知り合い、
20歳の時、結婚。二人の娘をもうけるも、39歳の時、離婚。現在、北海道在住。
黒柳真理
Wake up―心の目を覚まして!
イノセントエンジェル
井石礼司 プロ野球選手(外野手)、「ゴルフプラザ72」役員/
東京オリオンズ(1965~68)・ロッテオリオンズ(69~71)→広島東洋カープ(72~73)/
大阪教育大平野中→天王寺高→慶大/
『中学時代は野球部と陸上部を兼任し、天王寺高で野球に専念。1年秋に投手から外野手に転向した。
慶大では2年秋にベンチ入りし、3年秋にレギュラーとなる。2季連続してベストナインを獲得したが、
4年秋のシーズン前に、週刊誌に「プロとの二重契約の疑い」(事実ではない)
と書かれ退部、卒業後東京に入団した。
東京では開幕から5番に入り、翌年にはファン投票でオールスターに出場。
70年の日本シリーズでは代打で2本塁打を打つ。72年広島に移籍。
退団後は義兄の経営するゴルフショップ「ゴルフプラザ72」の常務兼任新橋店長をつとめる。
[(エピソード):大学3年秋のシーズンは規定打席に1打席足りず、東京6大学の首位打者を逃している。
(打撃成績):実働9年、581試合、1200打数258安打、27本塁打、136打点、5盗塁、打率.215]
(「プロ野球人名事典〈2003〉」より)』
門山周通
(かどやま しゅうつう)
「門山医院」開業医(専門は産婦人科、ほか内科・外科/北海道滝川市)/黒柳徹子母方祖父/
父は山形で医者をしていて、考古学の研究家でもあった。/
男5人・女5人の二男。兄弟はほとんど医者。女性は大学やミッションスクールに進学した/
妻・三好(みよし)は宮城県生まれ、仙台の近くの町の助役で豪農の一人娘であった。
生家は代々敬虔なクリスチャンの家系。ミッションスクールの宮城女学校(現・宮城学院)を卒業/
長男・周泰(しゅうたい)、長女・朝子、二男・修二、三男・秀三、二女・道子(異母)/
庄内藩の御典医の家系に生まれ、鶴岡中学を卒業後、仙台の医学校(現・東北大医学部)で医学を修めた。
「医学校では、中国の革命家で文学者の魯迅と机を並べていた」。
黒柳徹子の母・朝が生まれる2年前に北海道に移住して医院を開業した。
門山修二 「経済日報」社長/黒柳朝の弟。徹子の叔父/
母方伯父[母の兄(古山姓)]は、早稲田大学卒業後、新聞社「萬朝報」の記者をしていた。
昭和4年、東京証券取引所理事長に依頼されて、
日本で初めての株の専門新聞(経済専門新聞)「経済日報」を発刊した人物。/
昭和7年北海道より上京。早稲田高等学院に入り、途中出征、16年早大政経学部を卒業。
帝国鉱業開発に勤務後、中支派遣軍の兵士として二度目の出征をし、中国で終戦を迎えた。
戦後は、青森県高館で米軍通訳を務めた。
31年上京し、しばらくして「経済日報」社に入社。40年社長に就任。
弟がみたホントの「チョッちゃん」
村山槐多(かいた)
村山槐多
1896~1919/洋画家、詩人/父と門山周通はいとこ同士(「チョッちゃんが行くわよ」より)/
父・村山谷助(中学教師)、母・たま。母の姉が山本鼎の母
村山槐多
山本鼎(かなえ)
山本鼎
洋画家、版画家/祖父・良才は漢方医、父・山本一郎(婿養子/開業医)、母・たけ/村山槐多の従兄/
妻・いゑ子は北原白秋の妹
山本鼎
北原白秋
北原白秋
詩人、歌人、童謡作家/
北原白秋
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンク:コトバンク/amazon[名前で検索])





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