| ●栗島すみ子家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア) |
| 綾瀬川山左衛門(初代) |
力士 |
| 栗島狭衣(さごろも) |
俳優、新聞記者/本名・栗島山之助/旧姓・川村/
明治31年、朝日新聞社に入り、相撲記者となる。39年退社したが、大正8年まで寄稿。
39年、新詩社社友となる。また、明治末の文士劇若葉会に参加し、大正時代には有楽座のお伽芝居で活躍。
帝国女優劇・近代劇協会の他、新派にも出演した。
著書に評伝「詩人業平」「相撲通」「名勝負相撲小説集」などがある。 |
| 葛城文子 |
女優/栗島すみ子の伯母(母の姉)、本名・増田ゆき/
東京音楽学校を出て、音楽教師をしていたが、明治40年、栗島狭衣が文士劇一派を興し、上野で内国勧業博覧会を開いた際、余興に出演、以来女優となる。
有楽座のお伽芝居、土曜劇場、女優劇に参加、大正10年松竹蒲田に入り、品の良い奥様や母親役で脇役として活躍、コメディものにも才を発揮した。
代表作は「若者よなぜ泣くか」「戸田家の兄妹 」「愛染かつら」「新しき家族」などで、母親役を好演した。 |
| 栗島すみ子 |
女優、日本舞踊家、栗島派水木流宗家/別名・水木紅仙/母は金平糖の元祖・増田家の出/
幼い頃より舞踊を習い舞台を踏む。大正10年、松竹蒲田に入社。
「虞美人草」の主演でデビュー、この悲劇のヒロインで一躍スターダムにのし上がり、「電工と其妻」「思ひ妻」などに主演。
池田義臣監督のデビュー作「生(な)さぬ仲」に主演してからは、同監督とのコンビ作が多く、やがて結婚する。
昭和10年「永久の愛」を最後に引退を声明、翌年退社。
その後は舞踊劇団で活躍後、栗島派水木流の宗家として日舞に専念した。
31年「流れる」で、約20年ぶりに映画出演した。
◆「女優事始め―栗島すみ子 岡田嘉子 夏川静枝 」林靖治/編
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池田義信
(義臣) |
映画監督、映画プロデューサー/本名・池田義臣/
長野郵便局局員を経て、大正9年上京、演劇の世界に入る。
10年松竹蒲田入所、同年「生さぬ仲」で監督デビュー。
以後、「祇園夜話」「船頭小唄」「いろはにほへど」など蒲田調の作品を監督。
昭和11年、監督をやめ、製作関係で活躍、戦後の20年日本映画連合会事務局長に就任。
26年からは映倫副委員長を兼任した。 |
| 池田義一 |
日テレ学院講師、日本テレビディレクター/ 東宝演劇部(日劇・帝劇・有楽座)舞台監督・東京撮影所を経て日本テレビ入社。
日本テレビ初期ドラマの開拓者。
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