| ●東山千栄子家系図 (人物解説リンク:ウィキペディア) |
| 渡辺暢(とおる) |
司法官、貴族院議員/下総佐倉藩の家老で代々城代を勤めた家系/
寺尾亨は帝大の同窓で親友、その妹と結婚/
千葉・仙台・横浜・東京各地方裁判所長を経て、統監府高等法院長等を歴任。
大正13年貴族院議員に勅選される。 |
| 渡辺達子(多津) |
キリスト教伝道者、日本キリスト教伝道会社社長/6人兄妹の末っ子 |
| 寺尾喜平太 |
福岡藩士/東山千栄子祖父/
身分の低い黒田藩の士族で、妻と6人の子供を残して早世。
のちに、藩で能狂言の師匠として重く用いられ出世した芸能人と判明。
また、長崎の人で外国人だったかもしれないという。 |
| 寺尾寿(ひさし) |
理学博士、天文学者、東京帝大教授、東京天文台長/
明治12〜16年フランスに留学し、各所の天文台及びパリ大学で天体力学を学ぶ。
帰国後、17年東京大学教授に就任。
21年、初代東京天文台長を兼ね、また41年、日本天文学会初代会長などもつとめた。
東京物理学校(東京理科大学)創立者の一人でもある。 |
| 寺尾新(あらた) |
理学博士、動物学者、農林省水産講習所教授/寿の二男、妻は石川千代松長女・きよ/
水産動物の増殖と加工などの研究で知られる。
著書に「優生学と生物測定学」「科学魂」「海・魚・人」「海の科学随記」「生物と人世」「生物学」「動物はささやく」などがある。 |
| 寺尾亨 |
法学博士、国際法学者、東京帝大教授/福岡藩士・寺尾喜平太の二男/
明治24年、ヨーロッパに留学。27年東京大学教授となり、国際法・国際私法講座を担当。
また戸水寛人らと日露主戦論の「七博士意見書」を発表。
44年の辛亥革命に際し、職を辞して孫文の革命政府の法律顧問となった。
大正3年、東京に政法学校を設立し、中国人留学生の教育に尽力した。 |
| 寺尾進 |
商工官僚/寺尾亨の養子、大西述の二男/ |
| 澄川徳(めぐむ) |
医学博士、澄川内科病院長/澄川家を継ぐ/ |
| 小野隆太郎 |
司法官、福岡県議・市議、玄洋社社員/小野隆助(※)の養子/
司法省法学校に進む。明治21年代言人免許。
25年福岡市議、29年県議。34年判事任官。42年、46歳で没。 |
小野隆助(※)
(隆介) |
香川県知事、衆議院議員(当選3回)、第十七銀行取締役、玄洋社社員/旧姓・三木/
筑前共愛会会長。各郡長を歴任。
大宰府神社神職、中学校校長などを経て、明治23年代議士、31年香川県知事。
大正12年、84歳で没。 |
| 石川千代松 |
動物学者、東京帝国大学教授/
◆石川千代松 |
石川欣一
(きんいち) |
ジャーナリスト、翻訳家、評論家/妻は渡辺暢の六女・えい/
毎日新聞社に入社。米英特派員、ロンドン支局長をつとめ、のち文化部長、サン写真新聞社長。
昭和23年、グルー「滞日十年」を翻訳し、続いて24年から30年にかけてチャーチル「第二次世界大戦回顧録」全24巻を刊行。
28年から29年にかけて刊行したブルックス「アメリカ文学史」(全5巻)は芸術院賞を受賞した。
英米人の大著を翻訳する一方、竹山道雄の作品などを英訳。
日本ライオンズ・クラブ初代ガバナーも務めた。
◆石川欣一 関連本 |
河野通久郎
(とおくろう) |
両親は加賀金沢藩士の出で、母方は家老の家柄/
東京帝大法科卒業後、原合名会社(原富太郎/生糸輸出商社)に勤務、結婚当時はモスクワ支店長 |
| 東山千栄子 |
女優/本名・河野せん/学習院女学部卒/弟にジャズベース奏者・渡辺良(りょう)、その息子にベース奏者・渡辺順/
明治42年、18歳で結婚、夫の任地モスクワへ行き、モスクワ芸術座の「桜の園」などを見て、演劇への目を開かれる。
大正6年帰国。14年、35歳で創立間もない築地小劇場の研究生に合格し、新劇俳優としてスタート。
昭和2年に同劇場でチェホフの「桜の園」のラネーフスカヤ夫人を演じてから38年の俳優座公演まで、同夫人役だけで310回も出演した。
約半世紀にわたり、演劇ばかりか映画やテレビでも活躍し、27年芸術選奨文部大臣賞を受賞、41年文化功労者に選ばれた。
映画の代表作に小津安二郎監督の「麦秋 」「東京物語 」などがある。
著書に「新劇女優―伝記・東山千栄子 」がある。
◆東山千栄子
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