近現代・系図ワールド
近現代人物家系図サイトです。

スマホ等でご覧の場合、「下に送る、拡大・縮小する」等は、系図外の部分をなぞって下さい。

スポンサーリンク

村岡花子 系図 (※転載禁止)

NHK朝ドラ「花子とアン」 村岡花子系図



ごきげんよう!

村岡花子(旧姓・安中はな)は、5歳の時、一家で甲府より上京した。
10歳の時、父が学校創設者とキリスト教信仰上の繋がりがあった東洋英和女学校に給費生として編入学。
東洋英和女学校は、予科(2年)、本科(5年)、高等科(3年)があり、華族や富豪の娘が多く学ぶ学校であった。

入学当初から花子のお世話をしてくれ、お髪(ぐし)に、リボンをつけてくれたやさしい上級生は、奥田千代
男爵・大鳥圭介の孫娘であった。(のち、三共創業者・塩原又策と結婚して塩原千代 [関連系図])


花子が16歳の時、編入学してきた8つ年上の女性が、大正天皇の従妹にあたる、伯爵家令嬢・柳原燁子(白蓮)。 [関連系図]
燁子は、8歳で子爵・北小路家の養女となり、15歳で長男・資武(すけたけ)と望まない結婚、16歳で男児を出産。
結婚生活には耐え難いものがあり、20歳で子どもをおいて、実家に戻った。

英語が堪能で新鮮な西欧文学の世界へ誘ってくれる年下の花子を、燁子は可愛く思い親しみを感じた。
花子もまた、それを喜びとして、よりいっそう勉学に励んだ。 二人は“腹心の友”となった。

「そんな再婚をなさるの、恥ずかしくないの?」、花子は人身御供となる燁子を責めた。
しかし、その後、燁子は九州筑豊の新興成金で25歳年上、伊藤伝右衛門の後妻として嫁いでいった。
伯爵家と、平民の“炭鉱王”の縁組みというのは、当時の世間を騒がせたニュースであった。

ところが、その10年後に燁子は、伝右衛門のもとを出奔。宮崎龍介と駆け落ち、伝右衛門への絶縁状を公開、
いわゆる“白蓮事件”により、またもや世間を騒がす事になるのであった。


花子が教会で出会った初恋の相手、東京帝大の学生は、澤田廉三(のち外交官、初代国連大使)。
澤田がのちに、結婚するのは、三菱財閥・岩崎弥太郎の孫娘、澤田美喜(エリザベス・サンダースホーム園長 [関連系図])であった。
のちに、たびたびホームを訪れた花子は、美喜の正義感の強い熱い血潮に触れ、夫婦ぐるみの親交を深めていった。


花子は東洋英和女学校を卒業後、姉妹校である山梨英和女学校に英語教師として奉職。
5年後、教師を辞して東京・銀座の出版社で、婦人子供向けの本の翻訳と編集に携わった。

そこで出会ったのが、出版物を引き受けていた福音印刷・銀座の支社長でクリスチャンの村岡儆三であった。
父である福音印刷創業者・社長である村岡平吉は、当時の人事興信録にも掲載されている名士であり、明治から大正にかけての聖書と讃美歌の印刷を一手に引き受けていた。
村岡と言えば、“バイブルの村岡さん”として有名であった。
そして、出会って約半年後に、花子は村岡儆三と築地教会で結婚式をあげた。


続きは、以下 参照。

ごきげんよう、さようなら。


アンのゆりかご―村岡花子の生涯 (新潮文庫) 村岡花子童話集 たんぽぽの目


村岡花子の世界: 赤毛のアンとともに生きて (らんぷの本)


NHK連続テレビ小説「花子とアン」
役名 CAST(主な出演TVドラマ相関図)
村岡花子(はなちゃん/旧姓・安東) 吉高由里子
村岡英治 鈴木亮平
安東吉平(おとうやん) 伊原剛志
安東ふじ(おかあやん) 室井滋
安東かよ(花子長妹) 黒木華
安東もも(花子次妹) 土家太鳳
安東吉太郎(兄やん) 賀来賢人
醍醐亜矢子 高梨臨
木場朝市(あさいち) 窪田正孝
村岡平祐(英治の父) 中原丈雄
宮本蓮子(れんさま/旧姓・葉山、嘉納) 仲間由紀恵
嘉納伝助 吉田鋼太郎

葬儀レビ 1210追加

●村岡花子家系図
村岡花子
村岡花子
1893(明治26)~1968(昭和43)年/児童文学作家、翻訳家、通訳、評論家/
本名・村岡はな。旧姓・安中(あんなか)/東洋英和女学校高等科(大正2年)卒/
山梨県甲府で貧しい葉茶屋を営む、安中逸平・てつの長女として生まれる/

『女学校在学中から童話を書き始める。卒業後、3年間甲府英和学校で教壇に立ったあと、
教文館で婦人子ども向けの本の編集に携わる。昭和2年同人誌「火の鳥」を創刊し創作に励む。
同年最初の翻訳、マーク・トウェインの「王子と乞食」を創刊し好評を得る。
7年JOAK(NHKの前身)の嘱託となり、昭和10年代にラジオ「コドモの新聞」の解説を担当、
そのなごやかな話しかけるような調子で“ラジオのおばさん”として親しまれた。
(※番組の最後、「それでは、ごきげんよう、さようなら」という挨拶で締めくくり、
この独特の口調が流行した。)

戦後は、モンゴメリの「赤毛のアン」(全10巻)などの名訳で知られたほか、
東京婦人会館理事長、総理府行政監察委員、日本ユネスコ協会連盟副会長、NHK理事、
キリスト教文化委員会婦人部委員などをつとめ、幅広く活躍した。
ほかの訳書に、ポスター「喜びの本」、バーネット「小公子」「小公女」、オルコット「若草物語」、
ディケンズ「クリスマス・カロル」など多数。
童話集に「紅い薔薇」「お山の雪」「桃色のたまご」「青いクツ」などがあり、随筆集に「母心抄」がある。
東京・大森に“赤毛のアン記念館・村岡花子文庫”がある。
20世紀日本人名事典」日外アソシエーツより』

8人きょうだいの長女で下に、千代、庄三郎、健次郎、うめ(後に梅子)、磯夫、雪、邦久。 二女、三女以外は養子に出されるなどして親元から離れた。
花子の4つ下の妹、千代(二女)は17歳で北海道へ嫁ぎ、
三女・梅子は千代の嫁ぎ先に近い北海道に奉公に出たが、 厳寒地で過酷な労働を強いられていたため、花子夫婦が引き取った。
のち、梅子は画家の卵で、書家の坂田巖と結婚、一男二女をもうける。
長男・道雄を6歳の誕生日を目前にして、疫痢で失っていた村岡花子夫妻は、
梅子の長女で、道雄と同じ誕生日だったみどりを養女に貰い受けた。
村岡花子
村岡花子エッセイ集 腹心の友たちへ
赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉」ルーシー・モード・モンゴメリ/翻訳・村岡花子
村岡儆三(けいぞう) 1887(明治20)~1963(昭和38)年/青蘭社書房経営者、福音印刷社長/村岡花子の夫/
村岡平吉三男。一家は皆クリスチャン/
明治40(1907)年、横浜商業高校を卒業後、20歳で父が経営する福音印刷に入社。
大正3(1914)年、銀座支店開店。店を任せられる。
4年、横浜指路(しろ)教会の信徒で親同士が仕事上の繋がりがある江川幸と結婚。
翌年、長男・嘉男を授かるも、妻・幸が結核を患い実家に帰り療養。
仕事も忙しく、ずっと一人暮らしを続けていた。
8年安中花子と結婚。9年道雄誕生。11年父・村岡平吉死去。
12年、関東大震災により、前妻との子・嘉男を失う。また、震災の影響により会社が倒産。
15年清新な家庭文学を提唱する出版社兼印刷所、青蘭社書房を夫婦二人三脚で自宅に設立。
村岡みどり 1932(昭和7)~1994(平成6)年/翻訳家/
東洋英和女学院高等部卒、青山学院大学英文科卒/
村岡花子の妹・梅子の長女として生まれ、2歳で村岡儆三・花子の養女となる。
まだ、日本に公立の児童図書館というものがない時代、大学在学中の昭和27年、
花子と共に「道雄文庫ライブラリー」(家庭内児童文庫)を開設し館長。卒業後、花子の秘書を務める。
昭和34年、佐野光男と結婚。40~42年、夫の研究に連れ添いアメリカで生活。
平成3年、大森の自宅に「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」を開設。
翻訳書に「エレン物語」、「鏡の中の顔」、「ローズの季節」、「少女パレアナ」などがある。
村岡みどり
村岡光男 物理学者、理学博士、青森大教授、東大教授/旧姓・佐野光男/妻・みどりは村岡花子長女/
京大理学部物理学科卒/専攻 物理学(原子核理論)/
東大原子核研究所教授を経て、青森大工学部情報システム工学科(現・ソフトウェア情報学部)教授。
青森大工学部学部長、青森大産学共同研究センター所長などを務めた。
原子核物理学 (共立物理学講座)」杉本健三、村岡光男
村岡美枝 翻訳家、「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」主宰/昭和35年生。村岡花子の孫。恵理の姉/
■「出版翻訳家 村岡美枝さん(フェロー・アカデミー)」
村岡美枝
村岡恵理 作家、「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」主宰/昭和42年生。村岡花子の孫。美枝の妹/
村岡恵理
アンのゆりかご―村岡花子の生涯
村岡平吉 福音印刷創業者・社長、横浜指路教会長老/六男二女の父。妻はハナ子/
会社創業25周年を祝って間もない大正11年に死去/
長男・十太、二男・俊次、三男・儆三、四男・昇、五男・斎、六男・潔。事業の後継者は儆三と斎。
十太は学識高いが体が弱く、俊次は横浜元町でテイラーを営む松野家に養子に入った。
長女・淑子(儆三の姉)は士族・佐野精一に嫁ぎ、
雪子(儆三の妹)は水上政五郎という牧師の家に養子に入った。
(上記「アンのゆりかご―村岡花子の生涯」を参考)/
一代にして福音印刷を起こし、明治から大正にかけて、大正12年関東大震災後二年まで、
聖書と讃美歌の印刷人はすべて「村岡」であった。
また、インド、中国、フィリピンのバイブルの印刷も一手に引き受けていた。
その事業はキリスト教信仰と共に創めたものであり、事業即ち信仰、信仰即ち事業であった。
■「小机が生んだ印刷王-バイブルの村岡さん-(公益財団法人 大倉精神文化研究所)」

(以下「人事興信録第5版(大正7年)」によれば)
『長女ユキ(明15、11生)は神奈川県士族佐野精一に嫁し、
二女壽美子(同36、10生)は同県平民水上政五郎に養子となれり』
村岡斎(ひとし) 福音印刷役員/村岡平吉五男。儆三の弟/
アメリカ長老派宣教師設立の明治学院卒業後、3年間ロンドンに留学、最新の印刷技術を学んで帰国。
父の朋友、共に指路教会設立に尽力した三共創業者の一人、西村庄太郎の次女・巴と結婚。
長男・創(はじめ)が誕生するも、1歳になったばかりの頃、横浜の会社をあずかっていた斎は、
関東大震災により、社員70名あまりと共に死去。
西村庄太郎 三共商店共同創業者/
三共は明治32(1899)年、横浜弁天通に創業。三共商店の社名は「三人の共同出資」という意味。
三人とは、塩原又策、福井源次郎、西村庄太郎。
※三共商店→三共薬品→三共→第一三共(現在)
村岡潔 第一中央汽船専務、住友銀行部長・支店長/村岡平吉六男。儆三の弟
村岡實 ガーデンホテルシステム副社長、第一ホテル常務、新橋第一ホテル総支配人/村岡潔長男/
日本のホテル小史
日本人と西洋食 (食文化シリーズ 6)
村岡希美
村岡希美
女優、「真心一座 身も心も」座長、「ナイロン100℃」劇団員/
村岡実三女。村岡花子の大姪(姪孫)。花子は大伯母にあたる。/
平成7(1995)年、劇団「ナイロン100℃」に所属。
25年にユニット「酒とつまみ」を立ち上げ、舞台を中心に幅広く活動中。
NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」(2014年前期)に出演。
葉山蓮子(モデルは柳原白蓮)の兄嫁・伯爵夫人「葉山園子」役。
村岡希美
賀川豊彦
賀川豊彦
社会事業家
賀川豊彦
賀川ハル
賀川ハル
社会事業家/村岡花子の夫・儆三の従妹[父・芝房吉の姉・はな(伯母)の夫が村岡平吉]
わが妻恋し―賀川豊彦の妻ハルの生涯」加藤重
(肩書き・役職の「元・前」は基本的に省略|人物解説リンクコトバンク/amazon[名前で検索])





カスタム検索




スポンサーリンク

近現代人物
あ行 か行 さ行 た行
な行 は行 ま行 や行
ら行 わ行 リンク 政治
芸能 スポーツ 華族一覧
「系図でみる近現代」目次
タカラヅカ人脈
TVドラマ相関図
「ザ・ベストテン」4要素大研究

スポンサーリンク

その時々の話題の人物、あるいは、旧華族・皇族や、政財界人・学者、芸能・文化人など近現代の先覚者たちを知り、家系図を通して、それらの人物を「点」から「線」へとつなぎ、人物・歴史を識るサイトです。

内容は基本的に書籍、新聞・雑誌等の文献、ネット上の新聞社・出版社、人物に関する公式サイト等、TV番組なども、参考に描いております。また、家系図に登場される方からの情報の場合もあります。


人物解説リンクは正式・正統な人物事典であるコトバンクにリンクを貼っています。

葬儀レビ



文章および画像の盗用(家系図のコピペ等)は、明確な著作権違反です。無断転載、一切、お断りいたします。


当サイト・ページのウィキペディアへの掲載は、一切、お断りいたします。

当サイトは著作権法に基づき、robots.txtで、日本系・外国系を問わず、ウェブ魚拓を拒否しております。


2014(平成26)年に最終改訂されている著作権法第七章第四条の四で、『robots.txtで情報の収集を拒否するページの情報収集の禁止』が定められています。
すなわち、ウェブ魚拓を取った者は、著作権侵害者になります。ご注意下さい。


ご理解の程、よろしくお願いいたします。





 

●参考文献
アンのゆりかご―村岡花子の生涯」村岡恵理
20世紀日本人名事典」日外アソシエーツ
わが妻恋し―賀川豊彦の妻ハルの生涯」加藤重
連続テレビ小説 花子とアン Part1 (NHKドラマ・ガイド)」NHK出版
日本の創業者―近現代起業家人名事典」日外アソシエーツ
原子核物理学 (共立物理学講座)」杉本健三、村岡光男
村岡花子エッセイ集 腹心の友たちへ」村岡花子
「日本タレント名鑑」VIPタイムズ社
人事興信録


●「ごきげんよう、さようなら。」様より、「佐野光男」及び「村岡平吉」「村岡美枝」各氏情報をいただきました。
ありがとうございます。
佐野光男」(「青森大学サテライト|Facebook」)
公益財団法人 大倉精神文化研究所
翻訳学校 フェロー・アカデミー